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是是非非

いいものはいいに書いたこととダブるかもしれないけど。

一方的な宣伝の時代は、もう終わりです。終わってるんだけど、それに気づいてない人がどうやら多い。

たとえば掲示板への書き込み。
特ダネ掲示板へは、なんだかよくわからないけどダンス教室とかいろんなところから宣伝書き込みがあった。レスつけても反応なし。どうやらあちこちに一方的に書きまくっているだけの模様。一方的な宣伝行為が、逆にイメージダウンになるという想像力に欠けている。
それから、ブログへのトラックバック。誰かが書いたエントリーに対して、コメントをつけるかわりに、「ぼくもこれに関連したエントリーを書きました」と勝手にリンクを張ることができるこのシステム、うまく使えば読者を利するものになるのだが、自分とこへの誘導しか考えない人は、読者の利益など考えていないようだ。これも一方的な宣伝。
おそらく、これまで一方的な宣伝に終始してきた業界では、もうそれで立ち行かないという認識は、少なくとも生まれつつあるはずだし、あるいは、もうそれが定説になっているかもしれないけれども、パンピー(←「一般ピープル」をさすマスコミ業界用語)の多くは、どうやら気づいてない。

それじゃ駄目です。

片や、無責任で一方的な弾劾を、飽きもせず続ける人たち。言語道断のばっさり斬り捨て、みたいな感じが好きらしい。いや、ひとりでやってる分には、勝手にやってもらっていいんです。たまたま立ち寄った田舎のさびれた定食屋で、店のテレビでワイドショーが流れてて、馴染み客らしいじいさんが、お店のばあさんに、テレビ見ながら勝手な政治批判を繰りひろげるとか、それはいいんです。でも、それが無意味で非生産的な行為であることを、自覚したほうがいい人もたくさん。

この両者は、表裏一体。これまで一方的な宣伝を押し付けられ、宣伝といえば一方的な宣伝のことだと、とにかく一方的に宣伝しさえすれば宣伝効果は上がるのだと、素朴に信じてる人たち。テレビとか見て、一方的にわめきたてることが評論だと思い込み、それを再現してみせる人たち。これまで、「マス」的構造の中で、消費者とか視聴者とかで位置づけられていた、受け身な人たちは、自分たちが発信できる立場になっても、何をどうしたらいいのかわからず、とりあえず、マスメディアをパクってみたりする。一方的に宣伝する、一方的に糾弾する。

個人(市民と言ってもいいが)の発信は、対話をベースにした、個人の視点に基づく是是非非的な視点を内包した広告であり、批判でないと意味がないと思うのです。

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