ネットはテレビ(あるいはマスメディア)を殺せない。みんなテレビが好きだから。
テレビへの思い、それはメディアのヒエラルキー構造、「△」の頂点へのあこがれでもある。そしてテレビはレート(視聴率)を稼ぐために演出する。テレビはお茶の間の皆さんにとても身近なメディアですよと。視聴者は感じる、自分にもチャンスがあると。
まるで受験生のように。
頑張れば思いはかなう。なせばなる。?それは明治以降の日本の歴史ではなかったか。「なせばなる」、それはある意味で真実だろう。ただし、あくまで可能性の範囲内において。
「夢は無限大」と広告のフレーズでおだてられ、からっぽな自己を膨張され、風船のように漂っている。?それが、「なせばなる」の終着点としての現代日本であり、それ以外の価値観を与えられないまま育った、フリーターやら引きこもりやら何やらの非生産的な若者の実体であり、ヒマな彼らがせっせと紡ぐネット社会の現状でもある。
親と同居し、親のスネをかじって生きる彼らが親なしには生きられないのと同様、ネットはテレビなしには生きられない。そして、ひたすらテレビの模倣をし、それに並ぼうとし、批判しつづけるだけの存在。
そんなものに、成り下がってはいけないと思う。