取材という罪深き行為に対する後ろめたさ、について考えてみる。
「視線にも重力の法則があって、水と同じように上から下へと流れる。」ことに対する自覚の念が、まず必要。ほっとくと取材者は上限なしの傲慢野郎になってしまうので、常に自戒をしなければ。
そして、取材という行為には宿命的に、取材者の主観がともなう。あるがままの世界から、取材者が興味を持ったアイテムだけを抽出し、それを再構成することによって、取材が初めて意味を成す。世界を再構築し、必要なものと不要なものを振り分けるという、神をも恐れぬ不遜なことをするのだ。
ほんとうは、あるがままの現実がすべての源泉であり、取材対象があるからこその取材者であり、取材とは泥棒猫みたいな行為にすぎない。プロの新聞記者だろうがアマのブロガーだろうが、やってることは何も変わらない。
後ろめたい気持ちを、忘れないようにしたい。