パソコンの中から発掘したテキスト。2001年に書いたものらしい。大筋では今でも同じ考え。多少の編集をしたうえで公開します。
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僕がいつも興味あるものは、普通の人々の暮らしと、その心情だ。
普通の人へのインタビューを、何度も繰り返してきた。
観光地に行っても、そこで暮らす人々の暮らしに興味が向く。
既存のメディアは、演出された一定のストーリーでの、部分的な人間しか扱わない。わかりやすくはあるが、反復運動のように退屈だ。
メディアが描く世間像、そこからこぼれた、ほんとうの人間の生の姿を記せないかと、僕はずっと奮闘してきたようにも思う。
ある民俗学者が言っていた。「歴史」に記録されない、民衆の姿こそが真実だと。政治体制がどうだ、事件が世相を映すだとか、歴史の転換点がここにあったとか、そういうことだけが僕らの一生であるはずがない。むしろそれは表層のごく一部でしかない。
以前、「個人の悩みとかじゃなくて、どうして社会の大問題に目を向けないのか」と言われたことがある。その時、僕はへこんだが、いまでは僕は正しかったと思っている。
僕らの暮らし、僕らの考え方、それらの総体として人間社会がある。僕らの日常こそがすべての源だ。