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取材者として

ぼくは表現者としてではなく、取材者としてコンテンツをupしています。どうも、「じぶん」を前面にフューチャーすることが、あまり好きではないらしいので。
じぶんではない何か、場所だったり人物だったり物事だったりのディテールを誰かに伝えること、つまりメディアとして在ることのほうが、性に合ってるみたいです。

ただし、垂れ流しメディアでは嫌だ。じぶんが気になったことだけを伝えたいし、「与せず」「是是非非」という原則も守りたい。つまり、フィルターとして在りたいということのようです。

プライベートとパブリックの間のどっかの地点に、ぼくの落ち着き場所はあるようです。それを探し続けています。

高橋歩というひとが書いた『ラブ&フリー』という本を、昨日たまたま駅構内の本屋で見つけて買いました。
気の向くままに30ヵ国を旅して歩いた2年間、世界一周冒険旅行の記録
というもので、写真とコラムで構成されています。
藤原新也の『アメリカ』もそうだったし、こういう、「じぶん」丸出しのロードムービー風フォトエッセイってわりと好き。一種の憧れがあります。
でも、同じことしたいかと聞かれたら、「嫌だ」と言うはず。

片や、昨日はとあるところに取材に行ったのですが、それはとても楽しく、取材者冥利に尽きると思いました。わからなかったことが、霧が晴れるようにわかっていくばかりではなく、思わぬ事実までがわかってくる。ある種、役得。それに、フリーランスのぼくの取材は、記者クラブなんかと違って、ほぼ常に、初めてのとこに行き、初めてのひとに会います。ほとんど現場の瞬間芸のように信頼関係を作っていかなくてはいけない緊張感、初対面のひとが発する熱い想い。誠意。いろんな発見があり、うまくいくときもいかないときもあるけど、だからこそ面白い。

きっと死ぬまで、無知を恥じ、無礼を詫びつつも、知らないことを知り、出会わなかった人と出会い、びっくりしたり落ち込んだり納得したり憮然としたり発見したり困ったり、そんなこんなの取材人生を楽しんでいければいいなと思います。

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