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環境にやさしい取材?

伝える側の無神経さ、ということを、最近よく考えます。

「ぶっつけ本番の出会い旅」ってスタイル、最近の旅モノ番組ではよくあります。わりと好きでよく見てるんですが、その一方、手法が陳腐化してるという気も、しないでもないです。それに、あれってある種、すごく暴力的な気がしませんか。
…と、こちらで書きました。

一方、アマチュアはどうかというと、店内画像バシャバシャ撮りまくってるような旅日記サイトとか、自分の子の顔だけ隠して店員の顔丸出しとか、こちらも、がっかりするような状況。これはぼく自身も過去の所業で反省してることなのですが…。撮影の是非というよりもむしろ、どこまで出していいのかいけないのか、という、ルールづくりというか。とくにネットは、閲覧ユーザーがピンキりで、誰も来なければ何の問題にもならないけど、ある日いきなり有名サイトからリンク張られて、って可能性もあって。リアルな世界だと物理的な限界値って枠で規制がきいたりするけど、ネットにはそれがない。…まあ、自宅サーバーとかだと物理的に規制できるけど、結果的に。

無神経になってしまうのは、関係の希薄さがあると思うんです。顔見知りの馴染みの店とかで、バシャバシャ写真撮ったりは、しないもんね。「無責任な消費者」というワードで知り合いのブログにコメント書いたこともあるのですけど、なんつーか、匿名性を隠れ蓑にした消費者の甘え、という見方もできるかもしれない。

テレビの話に戻ると、いきなり訪ねるというスタイルはかなり暴力的に思うんだけど、でも、ナマ(=リアル)を切り取るにはそれしかないという気もして、その矛盾をどうしたら克服できるか、悩みます。ぼくはできれば、リアルを切り取りたいと思うし。

R30氏が、
「自分が物を書くことによって傷つく人が必ずいる、っていうのを意識することかな。自分の文章によって社会的地位を失ったり、お金を失ったりする人が出る。自分が他人の人生を言葉一つで狂わせるかもしれない。だから、少なくともこれで誰かの人生が狂ったとしても、「俺はこういう理由で書いたからそういうことが起こっても仕方がない」と言えるだけの理論的武装を持って書く。それがパブリックに書くということだと思いますよ」と、『アルファブロガー』の中で語っているけど、まさにそういう、発信者責任のようなものを、強く考えるわけです。

そういうことを自覚してネットで情報発信をしてる人が、はたしてどれだけいるのか。

伝える義務も権利もへったくれもなく、ただの功名心で動きたくはない。大衆を酔わせ、扇動し、つき動かす輪の中心にいたくはない(できないけど)。わかりにくくても、地味に。それが僕の良心であります。

現場の話に戻ると、つまりは「環境にやさしいロケ」をしたいということなんですが。…「水曜どうでしょう」なんかは、かなり環境にやさしいよね、実は。みうらじゅんなんかも、けっこう環境にやさしい。自虐的ではあるけど、暴力的じゃない。

…と思ってたら、思わぬ事件に遭遇したことで、

伝える側としては、どうなんでしょう?

と問いかけられてしまうし。しばらく悩みそうです。

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