「ネット界で評判」だとか「ネット界で人気」だとか、はたまた「ネット上の世論」だとか。たとえばこんな。
民主党の代表選挙は、これまでに前例のない展開になってきた。新聞・テレビなどの大手メディアと、それ以外のメディア、特にネット上の世論が大きく分かれているのだ。はたしてネット界とは何か、そしてネット上の世論とは何か。
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インターネットにはさまざまなコンテンツやコミュニティが存在する。学校裏サイト的な掲示板もあるし、旅行や食べ歩きのブログもあるし、特定のソフトウェアに関するフォーラムもある。
これら全てを含めて「ネット界」「ネット上」というわけではなく、たいていは特定の部分を指している。「ネット上の有名人」という場合によく挙げられる人名があるが、彼らが認識されている世界といっていいかもしれない。
(ネットの有名人といっても、インターネットユーザーの中で彼らを知っているのはほんのごく一部だと思う。具体名を挙げればわかりやすいけど、ここでは出さない。…ええと1つだけ。勝間はわりと誰でも知ってると思うけど、切込隊長はネット上の有名人。「勝間vs切込隊長」がわかるのはネット界だけ)
インターネットにはいろんな小部屋があるけど、そのなかでも大部屋というか、広場みたいなものがネット界、という認識もあるかもしれない。多くの人に興味のある話題を扱うから広場なのだと。
しかし本当にそうなんだろうか。「ネット界」というのも、実はインターネット上に無数に存在する「小部屋」の1つにすぎなくて、「ネット上の世論」なんて、その小部屋での話にすぎないのではないか。
いまは、ネット上の世論は小沢支持だという。たしか去年、自民vs民主のときはネット世論は自民支持、ネットは右寄りだと言ってたと思う。
ほんとうにそうか。
小部屋で行われている、特定の(偏った、といってもいいかもしれないけど)人たちによる議論を、あたかもインターネット上の意見の大勢のように伝えたり、思い込んだりするのは、違うんじゃないのか。
たとえばその「ネット界」が、1万人程度の規模だったとする。小部屋としては大きなほうかもしれない。でも、インターネット利用者全体からみればほんとに少数だし、ネットにつないでいない人も含めた日本語圏全体からみたらいっそう少数だ。
いわゆる「ネット上の世論」と、より広い世論(←変な言い方だけど)が違うことはよくあるし、ネット上の世論がはっきり示した結果の通りに世の中が進まないことが往々にしてある(というか大抵そう)ことは、経験値としてあると思う。
(思うんだけど、たとえば政治とか社会問題とか、たしかに多くの人の関心事ではあると思うけど、それに対して、ネット上で意見を表明したりとかを、どれだけの人がするのかということについて考えてみると、ほとんどの人はそんなことしないはずだ)
いわゆる「ネット界」が居心地いい人は、そこにいればいいと思う。意見のあう人同士、わあわあやっていればいいと思う。でもそれは、社会一般に対してなんの影響力も持たない、ごく少数派のグループ内での盛り上がりだ。
ということを頭のいいいわゆる知識人が気づかないわけはないと思うし、気づいていて知らんぷりをしているのであれば、なかなか狡猾だなあと思ったりするわけだ。
…と、文章としてはまったく稚拙なままにしとくけど、ぼくはネット界だとかネット上の云々だとかに対して非常に懐疑的な意見を持っていることをここに記す。
追記:2010-09-08 17:02
…と思うのも、インターネット上には実に様々なコンテンツがあり、世界には実に多種多様な人々がいることをインターネットを通して知ったからだ。いや、世界という括りでなしに、日本語圏に限っても、実に多種多様な人々がいる。これは既存メディアがデフォルトとしてきた僕らのセルフイメージを大きくくつがえすものではないかとも思ったりする。そう僕らは実に多種多様であって、いろんな考え、価値観、行動パターン、趣味嗜好…を持っているのだ。だから、「ネット界」「ネット上」などと軽々しく括れるような存在ではないのだ僕らは。