ラジオに安倍なつみが出てて「野菜ソムリエ」や「ジュニア食育マイスター」の資格をとったことを話していた。
それを聴いてて思ったこと。
芸能人やタレントは個人のキャラを立て、輪郭をはっきりさせることで食っていく稼業だ。
使う側にしてみれば、ほとんどのタレントは、「こういうポジション」という構成演出上の要求があって、それにハマるタレントを使う。たとえば「かわいくて、チャイナ服が似合って、そこそこ知性が感じられて、できればスタジオ回しもそつなくできる子」みたいなリクエストだったりするのだけど。
この企画会議の場で思い出されないタレントは使われないし、逆に、いつも思い出されるタレントはよく使われる。
キャラがはっきりしないタレントは使いづらいという以前に思い出されないから仕事が来ず、結果食べていけない。
また、タレントが焼肉屋とかやってることは多いけど、これも、一般にキャラが浸透しているからこそ、その知名度が使えるわけだ。
キャラを立てるというのはある意味で勇気のいることだ。ある意味で「烙印」を押されるということで、いったん押された烙印を変えることはできない。でも、それをしないと前に進めない。
タレントはもちろん事務所が戦略的にキャラを作ることもあるけど、若いうちはそんなロボット戦略も使えるけど、年季が長くなってくるとそうはいかない。本人みずからのキャラ、指向性でどれだけやっていけるかが重要になる。
という意味で、安倍なつみの「野菜ソムリエ」や「ジュニア食育マイスター」は、本人によるキャラ立て戦略なんだろうと思う。
…というようなことは、ぼくのようなフリーランスはもちろん、組織に所属して働く人にとっても、今後どんどん重要になってくるんじゃないかと思う。
長谷川滋利がたしかどこかのインタビューで、協調性だけでは生き残っていけない、個性がないと上には行けないし、多少問題を抱えていてもそうした個性のある集団でないと強くなれない、みたいなことを語っていたと思う。
空気を読んで合わせるだけではいずれ淘汰されてしまう。個の核というか、他と違う部分をある程度前面に出すと、必ず誰かとある程度の衝突を起こすことになるんだけど、それを恐れていたら、いつか蹴落とされて、忘れられてしまう。
そうならないようにしていきたいと思う。