現代日本に生きる僕らは、大なり小なり、みんな「カオナシ」だ。悪魔に魂を売ってカオナシになれば、メディアも広告も商品サービスもこぞって僕らをもてなしてくれる。ひとりではとても生きていかれない、馬鹿で間抜けでいいかげんでその場しのぎでお調子者で怠け者な僕らだけど、まるでそうではないかのような幻想を彼らは与えてくれる。その夢のような時間を、僕らは無駄な金を支払って得る。ばらばらに分断され、アトムとなった僕らを、彼らが心地よくもてなしてくれる。すべては金次第。
無数のカオナシを相手にした商売がビッグビジネスと思われてきた。しかしそこは今や効率化とコストダウンでしか生き残れない不毛の大地と化している。カオナシ争奪戦から抜け出して、違う世界に行かなければ、僕らはやがて滅亡する。顔のある世界へ。
でも現実の商店街はシャッター通り化している。顔のある世界は、ローカルにつながっていなくてもいいはずだ。インターネットはもともと、カオナシの群衆が力の論理でうごめく不毛の世界である以前に、遠く離れた少数者が手をとりあうためのツールであったはずだ。