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かつての僕は「つながる」最前線で落胆した。

久しぶりに思い出した。

かつて、テレビと視聴者をインターネットで「つなぐ」現場にいたことがある。当時のぼくは最前線にいたといってもいいかもしれない。
「つなぐ」とか「つながる」とか、今ではすっかり陳腐な物言いになってしまってる感もあるけど、当時はまだ新鮮な響きをもっていたと思う。
視聴者とつながることで、テレビは変わる。その可能性とインパクトを、当時のぼくは楽観的に信じていた。

ふたを開けて、ぼくらは落胆した。がっかりした。
視聴者からのドアを通じて寄せられたのは、吐き捨てるような番組批判だった。
番組批判、番組批評じたいはまったく問題ない。番組がつまらなければ、正直につまらないと言ってもらって一向に差し支えない。
問題なのは、「吐き捨てるような」という部分だ。
そこで気づいた。ぼくら(テレビ番組と視聴者)は、お互い高めあっていけるような、そんな関係ではなかったんだと。視聴者にとってテレビ番組とは自分をいっとき楽しませてくれる数多くの選択肢の1つにすぎず、つまらなければチェンネルを回したり、あるいはゲームとか別のことをすればいい。
別の言い方をすれば、視聴者はカオナシだ。おいしいものを呑みこむだけ呑みこみはするけど、ただそれだけ。建設的なアウトプットなんか最初からする気がない。せいぜい、食えなかった部分を吐き出すくらいだ。

あれから何年も経った。
いまはどうだろうか。テレビと視聴者との関係に、何か変化は起きただろうか。視聴者は、「顔のある」存在に、少しでもなっただろうか。

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