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風評商法

風評被害は、風評商法はびこる環境でしか発生しない。

たとえばスカイツリー。マスメディアがスカイツリーを話題にする。それにのっかって、いろんな便乗商法いや関連ビジネスが林立する。マスメディアたとえばテレビは視聴率のとれるネタしか基本的には扱わないから、ベースとして「多くの人がスカイツリーを気にしている」という土壌があってこそなんだけど、それでも、マスメディアの殺人的爆発的訴求力にのっかって売り上げを伸ばすのは、風評商法に違いない。

風評被害も風評商法も、移り気な浮動票的消費者がいてこそ成立する。彼ら消費者は、真偽とか善悪とかあんまし気にしない。ただなんとなく話題に乗っかって、他律的にゆらゆらしてるだけだ。彼らを一瞬つかまえれば、莫大な儲けになる、と考えて風評商法に乗り出す向きが絶えないんだけど、ほんとにそうかね。

風評商法を継続するには、莫大な広告宣伝費と、絶えまぬ集客努力が必要になる。商品やサービスにそのコストを上乗せすれば価格は上昇するから、それを抑えるためにはスケールメリット、大量生産大量販売しかないが、いまどきそれはけっこうなリスクである。無理してナンボの商売。長期的な継続性なんか後回し的じゃん。

ぼくらってさ、そういうの、求めてるのかなあ。
「一発儲けてベンツで豪遊」的なさ、バブル時代の六本木的なさ、毎晩毎晩うかれて、花束持ったエロ野郎たちがうろうろしてさ、こんなこと長く続かないと内心思いながら、ああいうの、再来してほしいかなあ。
もっとさ、地味だけど確かな毎日を求めているのではないかな。

だから、風評商法なんてやめようよ。時間とカネと労力の無駄で、あほくさい。

※風評商法が成立するだけのお金を日本社会は持ってるってことで、まだまだ豊かですね日本。

※風評発生装置たるマスメディアは恥ずかしい。そう思うべきでしょう。

※インターネットも本来的には少数派のメディアであり、風評に背を向けてしかるべきなのに、風評流布装置になり下がっているのは恥ずかしい。

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