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どういう地平線に立ってるんだ僕たちは。

きょう、とあるお店にカキ氷を食べに行った。毎年カキ氷を食べに行ってるところなのに、今年は行けずじまいだったから、食べておこうと思って。
店のドアをあけたら、女たちがぎゃーぎゃー。椅子はすべて女たちに埋め尽くされていて満席だった。おばさん集団からヤンママ友達まで世代的にはワイドであったようだけど、こっちからみるとみんな一緒くたに見える。
ぎゃーぎゃーうるせえ。

電車の中でも女たちはぎゃーぎゃーうるせえが、話の中身はほとんどない。しかも個体/集団が変わっても、しゃべるトーンから内容からクリソツなのはどういうわけか。「あいうえお」を言い合ってるのと実質変わらないんじゃないのか。違うのか。そしてよく大声でげらげら笑うが、世の中そんなにおかしなことなんてねえだろ。ただのポジショントークであり舞台女優じゃん。
電車の中のそうしたトークが耳に入ると気が狂いそうになるので、僕は最近、イヤホンで音楽を聞くことにしている。
というような空間が、ぼくの好きな店のランチタイムに日に日に展開されていることを知らなかった。
ぼくは外の席に一人座り、セミの声を聞きながらカキ氷を食べた。おいしかったし、風情もよかったけど、蚊に刺された。

次に、とある作品展に行った。するとやはり、女たちが集っていた。僕以外の客は全員女だ。やはりおばさんから若い独身風まで世代的にはワイドであったようだったが、こっちからみるとやはり一緒くた。
一人の女が言った。
「癒されるうー」
吐きそうになった。
他にフレーズねえのか。
失礼だろ。
僕はその作品展は面白いと思ったので、写真集とポストカードをあわせて千円分買った。
おそらく場違いな客であったと思うが、その作品たちを眺めている僕自体は場違いでも何でもなかったはずだ。
ただ少数派であったというだけだ。だから何だ。

どうも僕は女が嫌いだ。

まあ、ああいう店とか、そういうギャラリーとか、女たちに占拠されていること自体は事前に容易に想像はできる。パターンだから。ああいうインテリアにはこういう客が来るよね的な。インテリアに群がって、時間と空間を消費して、イナゴの大群みたくあちこちを食い潰していくんじゃねえか。ぼーっと家でくだらないバラエティ見て、アホみたいな雑誌読んで、facebookで心にもない「イイネ」を連発して/連発されて、どこかに新しい店が出来たと言えばさっと群がり、まあこんなもんだよねと言いながら次の店に群がり…。新聞のチラシとかテレビCMとかに触発されて瞬間的に何か消費して。自分が望む自分像を演じ/相互に演じ、そのイメージの中で浮遊したライフを満喫しているのかどうなのか。だいたいあちこち代理店やらメディアやらメーカーやらの狙い通りに瞬時に踊らされてるだけじゃ統一的アンデンティティもなにもくそったれで自分が何者なのかわからなくなってしまう「カオナシ」化現象にはまってしまうだろうというのに、それで本当に楽しいんかいな。

筆が乱れた。

たとえばここ↓で述べられているfacebookの気持ち悪さと、「癒されるうー」を連発する連中の気持ち悪さだ。
元はてな・GREEのプログラマ 伊藤直也が語る、ソーシャルメディアの功罪。[前編]│CAREER HACK

「ほっこりするう」もついでに嫌いだ。

乱れついでだがあちこちラーメン屋が多すぎる。しかもどこも新規開店した風情の、売りはとんこつだの魚介系だのパンチがあってしかもしつこくない的な(?)どこもワンパターンな一回食えばもう飽きるだろう的な。壁紙張っただけの安っぽいインテリアでさ、店員はどこも似たような恰好してさ、怒鳴るような声で接客してさ。
どっか知らない駅におりて用事を済ます。さてメシだ。そんなラーメン屋はあっちにもこっちにもあるのに、他に飯屋はねえのか。あとは牛丼屋だ。
女たちがそんなことしてる間、男たちはこんな体だ。貧しい昼飯を消費させられているんだ。

現代日本に生きる僕らは一体全体どういう地平線に立ってるんだ。
バブルの時代は振り返って恥ずかしかったが、今もやっぱり恥ずかしい時代なのか。

僕はクリエイティブなものが好きだ。それだけなんだ。クリエイティブなものは次から次へと消費してはいけないんだ。

何を言いたいのかわからないがこれが僕にとってのインターネットだ。

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