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いじめがなくならない根源的理由とか

いじめは決してなくならない。

なぜなら、その根底にあるのは、昨日と同じ今日、今日と同じ明日…という、相も変わらぬ平穏な毎日を維持し続けたいという共同体の強い願望だから。

それに気づいたそもそものきっかけは、いわゆる「ネット社会」のあり方。よく観察を続けていると、ネット社会は「平穏無事な僕らの日々」がベースになっていることがわかる。自分たちの根本的なあり方にメスを入れるようなことは決してせず、表面的に「騒げる」トピックスだけが、日々トピックスの内容を入れ替えながら、延々と続いている。
いわゆる「炎上」も、その範疇内で行われる。
ネット社会の住民たちは、根本的な問いが嫌いだし、避けるし、向き合おうとしない。自分らのルーティンライフはがっちり維持した状態で、ちょうど手のひらサイズな話題でいっとき感情を高ぶらせ、とくに深く考えることもなくブームを収束させる。
その繰り返し。

ああそうだ。
その前に、メディア自体がそういう性向を内包していることに気づいて、いっとき、ひどくやる気をなくしたことがあった。

つまりこれはネット社会という特殊な環境下だけのことではなくて、日本社会がそもそもそういう性向を強く持っているのだ。
しかも伝統的に。

日本のマスメディア普及は、戦争という「イベント」によって促進された。農村に新聞やラジオが浸透していく過程で、戦争は最高のトピックスだった。当時はまだ出征兵士の数は少なく、村に数人(?)という程度だったから、多くの村人にとって戦争とは、自分たちの日々の暮らしとは無縁の、しかも興奮を共有できるトピックスだった。
(↑専門家に以前聞いた話だけど記憶だけで書いてるので不正確かもしれない)

平穏な暮らしを誰もが望む。その反面、何も起こらない日常は退屈だ。平和な社会で退屈をしのぐには、戦争みたいなことのミニ版がすぐそばで起こればいい。戦争みたいなこと。みなで感情をシェアできること。「誰かをいじめること」の意味はそこにある。いじめられる「誰か」は共同体を平穏無事に過ごすために犠牲にされる。

重要なポイントが1つある。
いじめられる存在は、あくまで共同体の成員でなければならない。
つまり、たとえば、同じクラスメートであっても、みんなと全く価値観も行動も発言も違う異端児は、共同体の成員とはみなされないので、いじめの対象にはならない。
たとえば、いじめられた反撃にクラス全員をぶっ倒すような攻撃的な存在は、そいつをいじめたことによって共同体が崩壊しかねないので、いじめの対象にはならない。
いじめの目的は共同体の維持だからだ。

だから、いじめられたくなければ、共同体を離脱して、孤高の道を選べばいい。
これは経験則からもいえる。
「出る杭は打たれる」というが、案外そうでもない。
出すぎた杭は打たれない。
けっこう簡単なことだ。
が、みんながそうなっちゃったら、たぶんそれは伝統的な日本社会とは違うことになってしまうと思う。そこで僕らが住みやすいかどうかは…微妙なところ。

なぜこうした観点でいじめを論じないのか、キレイゴトばかりが横行しているのか、僕にはよく理解できない。こう思っているのは僕だけではないはず、気づいてる人はたくさんいるはず。だってみんなバカじゃないから。気づいていながら、あえてそこに踏み込もうとしていないのなら、それが何故かも理解できない。踏み込んで困るようなタブーだとは思わないから。
ってことは、みんな口だけで、心の中ではいじめなんかなくならないと思ってるけど、それ言ったらおしまいだから、適当なところでお茶を濁しているってことかな。構造的にはそれもいじめとおんなじなんだけど。

あと、いじめによる自殺がここのところ大きなトピックスになっているが、自殺というのは人を殺すエネルギーが自分に向かっただけのことで、人を殺すエネルギーという危険な存在に変わりはない。もともと思春期は精神エネルギーが高い時期なので、そのエネルギーがいろんな方向に暴発しがちなわけだが、社会維持のためにはある程度コントロールし、封じ込める必要があると思う。

以下、過去ツイッターに書いた関連ツイート。

変わらぬ平穏な日々を維持したいという願望は真っ当だし否定する気はさっぱりないんだけど、ネットの炎上も学校のいじめも、そこから起っていることではないかというのが僕の仮説。誰かを叩く、血祭りにあげることを共同体のガス抜きに使って、根本的な課題を放置するというイヤらしい人生の知恵。 [ link ]

かつて小作争議というのがあったが話題になったわりには社会変革はもたらされなかった。多くの農民が部分的小作農であり現状維持を望んだからだ。/以上、聞きかじり。…という例のごとく、日本社会は伝統的に変革を好まないし、日本で(外圧なしの)革命は起りえない。
[ link ]

いじめのない日本社会って、ありえないんでねえか。和と表裏一体だから。いじめ撲滅なんて不可なキレイゴトじゃなく、現実的対策したらどうか。
[ link ]

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