吉見+古賀 withハイエースはこれが3回目とあって、道中はかなり計画的かつ順調に進んだ。前日夜に広島入りし、サウナで汗を流し、さて会場に野営を…あれれ入れない。で、なんか道端にクルマを停めて寝る。吉見はスヤスヤだったが、古賀君はクルマのオーナーのくせに寝心地が悪いとか寒いとか色々言ってなかなか寝つけないようだ。ところでなんで福山って深夜スーパーがあんなに賑わってるの?
8/26(土)
車検
朝起きてメシ食ってるとこ。
野宿した道端で目が覚めると、すでに三々五々とマシンを積んだトラックなどが通りすぎていく。ああやっぱりレースあるんだななんて思った。
AM8:00から始まる車検に、我がチーム代表 兼 自称広報担当の吉見君と共に臨む。 テントの下で待ち構えている実行委員会のメンバー数人が、白線で地面に長方形の引いてある場所に受検車両をまず誘導する。 これは、車両のトレッド・ホイールベースを瞬時に検査するため。 ナイスなアイデアと思った。
ここからは、車両にドライバーが乗り込んでの検査。 ロールバーの高さと幅を、メジャーで計測。実はこの高さ、ヘルメット装着の状態で東部より100mm以上ないとダメなのだが、我が車両はどう見ても50mmがいいところ。計画通り、首をすくめてパスした。ちなみに検査時は、ヘルメットの実際の装着はしなかった。
続いて、ブレーキを踏み、効き具合の検査。 車両を二人くらいで思いっきり押して動かなければOKらしい。これは難なくパス。 ペダル類の踏込時につま先が前輪車軸より前に出ないことも、同時に検査された。
トラブル発生!
ハンドルを左右一杯に切り、車体各部との干渉をチェック。 ここで問題発生。自作のタイロッドが、フロントサスに干渉する。レースの1ヶ月前にばねの巻き径の大きいCB400Fのリア用中古サスに変更し、その時からそれに気付いてはいたのだが、これを指摘されることは予想外だった。サス下端部の取り付け位置を後方にずらして再検をパスし、車検は終了。
…と、ずいぶんあっさり書いているけど、焦ったよ。だって車検落ちたらシャレになんないもんね。
干渉個所
急遽なんとかしているところ。古賀君はドライバーでありながらチーフメカニックである。
なんとかし終わったところ。
このほか、エンジンのメーカー刻印、キルスイッチ確認(機能確認はせず)などが同時進行でパパッと行われた。
ここで、レース会場にほど近い府中市に在住の小林さんと合流。 彼は我がチームの車両の設計・製作者で、過去にはチーム監督(と思う)を勤めた師匠的な存在。明日のレースに向けた彼のレクチャーに耳を傾ける。
小林さんには毎度毎度、今回も最後までお世話になりました!
むむ!こんなんで大丈夫か!と本人が思ったかどうかはわからない。
腹減った!
その後は何となくやることもなく、ダラダラする間に昼食は取りそこねた。そのまま参加者全員でのコース決定・ライン引き・パイロン立てへとなだれ込む。これが何と言うか、なかなか進まない。 その場で一からみんなで決めようとのんきに構えていたフシのある実行委員会側と、ある程度の構想くらいは出来ているんだろうと信じている参加者側の気持ちがかみ合わず、時間はどんどん流れていく。空腹と外気温は頂点に達し、心身は電池切れ状態へと陥っていく。 大会当日のオープニングセレモニーとして、上空のヘリコプターからチェッカーフラッグを落とすという、レース終了後もなお今一つ意味の解せないイベントの予行演習まで始まってしまい、せっかく汗水垂らして全員で並べたパイロンは吹き飛ばされる始末。ああ、気が遠くなりそう。
コースって、あらかじめだいたい決まってた、んだよね?段取りはあまり良くなかったけど、手作りっぽくていいんじゃない?あと、ヘリは、よくわかんなかったね。
この後のドライバーズ・ミーティング(ドラミと呼ぶらしい)も、先述の出来事を引きずってか、自分は少なくとも心ここにあらず。食いそびれた昼メシへ思いは募る。
ドラミのあと亀裂発見。
他のチームの方から溶接機を借りて修理。
エンジンを吊るターンバックルの位置を変更。by小林さんの助言
約1時間遅れで全日程を終了し、夕食兼昼食をとり、クアハウス今高野へと向かう。 ハイエースバン(トランポ)の中で寝支度をし、流した汗の分のビールを飲んで、この日は終了。
夜中まで発電機でこうこうと明かりともしてバーベキューで大騒ぎしている一団がいたけど、あれはやめてほしかったな。楽しそうなのはわかったけど。明かりについては文句言いました。こっちに向けられてはさすがに眠れない。
8/27(日)
清清しいぞ!
レース当日である。 レース会場の片隅で車中泊をし、AM6:00ころに起床。山間部らしく、清々しい朝だった。 心持ち寒い感覚もまたいい。
うちらのパドックの朝の模様
AM8:00から待望の練習走行が始まった。 レース本番前に実地で走れる最初で最後の1時間。コース内の混雑と危険防止のため、数台ずつまとまってスタートをする。
ここで、会場に集まったマシン達、初めてエンジン始動。立ち昇る轟音、白煙。それまでの静寂が一気にかき消され、レースの気分がみなぎってくる。この瞬間がいちばん好き。
初めての練習走行
どう?緊張してる?
最初に2周ほど回って、キャブのニードルを一段上に上げ、燃料を僅かに濃い目に振って再度コースへ。 4〜5周回ったが、燃料が濃すぎるように感じたので、ニードルを元に戻した。 ニードルの調整は全て小林さんの手によるもの。 これで練習走行はおしまい。 約40分のお気楽走行時間だった。 次は本番。
マフラーに腕をあててしまい冷やしているドライバー古賀。しかし笑っている…。
これは試走ファイナル後に変更した個所。エアクリーナーは湿式タイプに、それとプラグコード新調。
男子クラス(4サイクル無過給)は、第1次予選で毎回6台ずつ、計7回戦行われる。各回戦の上位2名が、第2次予選に進み、決勝となる運び。抽選の結果、我がチームは第1次予選最後の第7回戦への出場となった。 コースはほぼ中央の第3コース。 わだちさえなくて、かつスタートダッシュで失敗しなければ、なかなかの好位置かも知れない。
本番を前にすでに充足気分っ!
なぜか急遽予定が変更され、学生クラスのレースが終了したのちに、AM10:00ころから男子クラスの予選が始まった。
自分の出番が近づくうちに普通は心臓バクバク状態になるらしいのだが、何故かそれがあまりない。
正直なところ、自分にはレースという行為自体に対する情熱は、他の出走者のそれに比べれば格段に低い。
既に練習走行で心は結構満たされた状態になっていたのだ。 周囲にいた小林さん、縄稚さんは自分の緊張をほぐすべく色々と話し掛けてくれていたようだ。
その人達には申し訳ないが、それはまた違った意味で無意味だったのかも知れない。
まあ、僕らはこれまで河原とかで一台ぽっきりで走ってたわけで、他のマシンとともにコースを走ることが初体験。それまではどんだけ速く走れてるつもりでも、「これくらいの速さって、どんなもん?」…比較対象がなかったからまるでわからなかったのだ。すでに満たされていても仕方なし。
本番直前。緊張感なし。
本番っ!
やがて順番が巡ってきて、スタートラインに整列する。同時にエンジン始動の合図。
レースの2週間前までは始動性の悪さ(結局は調整ミスだった)に苦しんでいたエンジンは、キック2回で事もなく始動。 低レベルなひと安心だ。グローブを付け、ヘルメットをかぶりシールドを下ろして、オフィシャルの赤旗を待つ。 赤旗が掲げられ、続いてコース脇の赤シグナルが点灯。 と、全車一斉にエンジンのレーシングを始める。 ギアを入れ、青シグナルを待つ。
さすがにこの時は、緊張感の高まりを感じずにはいられなかった。 周囲のエンジン音に連動して、自分の緊張度が増すのが分かる。
その時僕はといえば、名物第1コーナーでデジカメ片手にドキドキ。エンストこいてねえだろーな、せめて第1コーナーまでは来いよ、などと色々。
ああっ!
シグナルが青になるや、全車一斉に第1コーナーへ突入していく。 その狭いコース幅や、その後続くシケインなどから、このレースの勝敗の80%はここで決まってしまうことは容易に想像できた。が、減っていたリアタイヤと、暫くノンオーバーホールで通してきたエンジンのパワー差によりたちまち遅れを取る。第1コーナー通過時には最下位に。
僕の目の前でドベケツに…。その瞬間を、カメラは捉えた!
うぎゃっ!
直後に第5位のマシンを一旦は抜くが、再び抜き返される。 ここでアツくなったのが敗因となった。続く右タイトコーナーで右足にうっかり力が入りすぎ、先行車に急接近。 そのまま接触し、クラッチを切り損ねてエンジン停止。こりゃマズい。
遠くてよくわかんなかったけど、止まったのはわかった。
…終わった
慌てて車両から降り、エンジン再始動をしようとすると、オフィシャルが駆け寄ってきて、車両をコース外へ出せと言う。出したところで気を取り直しエンジン再始動を試みる。
すると、今まであんなに苦労してただの一回も成功しなかったのに、超温間時の再始動ができた。 これでコースに復帰できるかと、オフィシャルをちらっと見ると、大きなアクションで「ダメ!」の合図。 一旦コース外に出ると、再コースインはダメらしい。あーあ、終わった。
なああんでダメなんだよおおお。
他車が次々をチェッカーを受けるのを尻目に、車両を押して小走りでパドックへ引き返す。この車両で過去にドライバーとして出場経験を持つ縄稚さんか駆け寄ってきた。こちらへ慰めの眼差しを送りながら一緒に車両を押してくれている。
気分爽快?
パドックに戻るやいなや、良く冷えたキリン端麗が待っていた。 駆け付け3杯ならぬ「出戻り3杯」と相成った。まだ興奮冷めやらず、汗だくで全身が上気している状態でのビール(正確には発泡酒)はまた格別。思わず続けてもう1本。
やっぱり笑ってる。
いいじゃん、「ビール」で。
暑い夏のページェントは、おそらく1分にも満たない予選レースで幕となった。聞けば、一緒に出走したうちの数名は常に入賞するほどのレベルだという。 現にそのうちの1台は表彰台に上った。
吉見はその後、器材をデジカメからDVCに持ち替え、各クラス決勝シーンを動画に収めた。その様子は…
公式にはというか予定されていたプログラム的にはここまででレース終了だったが、参加者の要望により総合決勝がこの後行われた。賞金はなし。その模様はふたたび静止画で撮ったのですが、のちほど掲載ってことで。
よおし来年は
毎年確実に上がっていると言われる全体のレベル、純粋なコンペティション志向が支配的になっている環境の中でも、自分ではそれなりに楽しめた。
コレはいい。 でも、広島って、やっぱりちょっと遠い。 関東でも似たようなコト、したいなあと思った。
そうだね、今年は「マトモな」マシンばかりだったね。粒ぞろいという言い方もできるけど、やっぱ手作りモノだから、いろいろあったほうがうれしい。
来年は完全自作マシン作るぞ。
おおおおおおおおお〜(心の叫び)
(注・この原稿は2000年に書かれましたので、「来年」とは2001年のことをさしています。このページの動画は1年後の2001年にやっと作成・公開されました。また、2001年の本大会にはわれわれチームfratは出走していません。2001年8月現在、ドライバー兼チーフメカニックの古賀君のもとで、ニューコンセプトのニューマシンを製作中です) |