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2014年07月 アーカイブ

2014年07月20日

僕らの人生、只今バーチャル化が進行中。

もうじき50歳になろうとするオッサンの僕だが、能年玲奈が大好きだ。
同様に、オバサン達はジャニーズの若い男の子が大好きだ。
そして、アンチエイジングという言葉が肯定的にもてはやされて久しい。

いずれも、「若々しさ」に対する憧れだったりがその心理の根底にあるのだと思うが、それは一体、どういうことか。
「若さ」の、何がいいのか。

現実の20歳前後の若者といえば、ごく一般的は、若い容姿や肌、それに体力ぐらいしか持っていない。社会的な地位は、学生か、社会に出たてのペーペーで、おおむね低く、当然ながら様々な経験値は低く、有益なネットワークも少なく、したがって業務遂行能力も低く、だから金もなく、要するに半人前である。

なぜ一人前である僕らは、半人前の彼らを憧れているのだろうか。

以下は仮説。

僕らの生物としてのピークは20歳。そこからはどんどんと一目散に下り坂。定年退職後の高齢者なんて、体力・知力ともに衰える一方で、年金暮らしなら金もなし。ただただ、毎日の生活の蓄積から、人生の経験値とやらが積みあがっていくだけの存在にすぎない。
と、ぶっちゃけてしまうと、元も子もない。社会の規律が保てない。年配者は人生の先輩としてリスペクトする仕組みにしなければならない。…という社会全体の智恵として、生物としてのピークとは別に、人としてのピークを人生終わりのほうに定めた。そういう約束にした。最後に大団円で終わる、ああ、この人の一生は良かった、この人らしい終わり方だったね、的な幕引きを目指す。終わりよければすべてよし、とする。
しかしこの約束には落とし穴がある。いくら若い頃に素晴らしい業績をあげたり素晴らしい社会貢献をしても、のちにホームレスでのたれ死んだり、酔っ払って道路脇の排水溝に落ちて亡くなったりと、ろくでもない死に方をすると、「あーあ」となってしまう。あるいは今だと、高齢化が進んだ現状をふまえて最期をどう迎えるべきか、現実的な問題や議論がいろいろある。

もともと、「人生50年」と言ってた時代は、「ほんとうのピーク」と、「社会が約束ごととして定めたピーク」(つまり最期のとき)とのズレは30年しかなかったのだが、いまやそのズレは50年、いやそれ以上ある。このズレが拡大することによって何が起きるかというと、要は人生の「バーチャル化」傾向がより強まるのではないか。

リアルとバーチャルの断層化が深刻化するのをなんとかつなぎ止めようとする、そのあがきが、たとえばアンチエイジングだったりするのではないか。若々しさへの渇望になるのではないか。

個人的な対処法としては、能年玲奈が好きだという心理を否定することはできないが、僕の人生のピークは30年近く前に終わっていること、まもなく「老化30年」が経過するのだということ、…というリアルを素直に受け止め、静かに「余生」を過ごしていきたいと思う。

さらにいうと、そうなると、「自分に何ができるか」とか「自分に何が得られるか」とかではなく、「この社会に何を残せるか」ということが、やはり重要になってくるのではないかとも思う。

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