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4.journalism アーカイブ

2004年09月11日

ブロガー=市民ジャーナリスト?

『われわれこそメディア:人民による人民のための草の根ジャーナリズム』(We the Media: Grassroots Journalism by the People, for the People)の著者、ダン・ギルモア氏は、ブログ界の執筆者たちをブロガーとは呼ばない。ギルモア氏が命名した呼び方は、「市民ジャーナリスト」だ。

個人では誤ることもあるかもしれないが、人々が集まってできた集合体ではおそらく間違わないだろう。ある時点から、ニュースは一方的な講釈ではなくなった。対話になったのだ。何がニュースであるのかを一方的に伝えるメディア大手に代わり、われわれが調和のとれた集団として判断し、面白いと感じる記事や投稿へのトラフィック量を増やすことで、出版側への評価とする。

見直される「市民の声」としてのブログ(下)

ヒッピーからインターネット、そしてブログへ。
たぶん、これがネットのメインストリートだなあ。

2004年09月27日

真実とわかりやすさ

真実を追えないジャーナリスト
でコメントしたんですが、けっこうだいじなことなので、あらためて。

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2004年09月30日

ジャーナリズムってなあに?

遂に出た!「ブログ新聞」
を入り口にいろいろ読んでたんですけど、なんか違和感が…。
このネットは新聞を殺すのかblog、時事通信の記者の方が書いておられるようで、「参加型ジャーナリズムの確立を目指して」と銘打ってあります。

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ブログはニュースソースとなるか

ジャーナリストは、エラソーだ。エラくない人ももちろんいるけど、ジャーナリストというだけで、なんか、立派な匂いがしてくる。(←旧体制的価値観で培われた匂いという気がしないでもないけど、それはおいといて)

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2004年10月05日

ジャーナリストは誰の味方か。

誰の味方でもないと思うし、誰の味方にもなってはいけないと思う。
弱者の味方だ、と言う人がいるかもしれない。そうだろうか。権力を持つ強者が権力を持たない弱者を常に虐げるような不条理が構造化している社会では、そうあるべきかもしれない。では、強者が正しく、弱者が間違っている場合には、どうする。

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ジャーナリズムの行く末

これまで、事実を伝えるひとと、事実を批評するひとが同一で、それをジャーナリストとか呼んでいたように思う。
でもこれからは、この2つの機能を分離していったほうがいいのではないだろうか。

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2004年10月08日

主観的な取材

ジャーナリストは誰の味方か。
で、ジャーナストが公正中立を保つことの重要性を、えらそーに書いた。
それ以前に、特ダネ掲示板与せず でも、
何者にも与せず、
(何者の味方にもならない)
というのが取材する者の鉄則、だよね。
中立的立場、と似てるんだけど、ちょっと違う。
「いいものはいい、悪いものは悪い」に近いかな。
主体的かつ自律的に、主観を確保する、という感じ。かなあ。

とも書いた。

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2004年10月13日

歴史を歪曲している?

抗議受け漫画休載 南京大虐殺めぐり集英社
「週刊ヤングジャンプ」で連載中の漫画「国が燃える」(本宮ひろ志氏作)に登場した南京大虐殺の描写に対し、地方議員グループが「歴史を歪曲(わいきょく)している」と抗議したのを受け、発行元の集英社は13日、28日発売号から当分、この漫画を休載することを明らかにした。

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2004年10月14日

対権力?

ジャーナリズムとは言ってみれば権力への批評作業
オンライン日記

何げなく書かれたっぽいこのフレーズに、一瞬、釘付けになった。
そうなのか。ジャーナリズムとかジャーナリストって、対権力だったんだ。
なるほど、そうかもね。
ぼくがジャーナリストではないのは、対権力ではないからなのかな。
妙に納得してしまった。

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2004年10月20日

取材とは

私は「取材=インタヴュー」というスタイルに根源的な疑念を抱くようになってしまった。(中略)要するに私は、取材とは、文献を読み、歴史を知り、現地を体感し、内外の人々に問い、気づき、諸々の疑問を解き明かしていく一連の営為である、と考えるようになってしまったのである。(中略)別言すれば、取材は、相手の問題ではなく(インタヴューしてその返答を書き連ねる方法論は明らかに取材を「相手の問題」として捉えていることにな る)、「おのれの問題」ではないかと私は強烈に意識するようになっていたわけです。
そういえば、日垣隆がイラクに行ったときの…

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2004年10月25日

特ダネが取れる「楽な取材法」とは

入社直後の社内研修での、当時の地方部長の言葉が忘れられない。取材記者としての成長過程について、彼はこう言った。
「君たちは地方支局に行ってすぐには、親しい人もいないだろうから、足しげく取材対象者に通え」。続けて「時間がたって親しい人ができたら、いちいち会いにいかなくても、電話で情報が得られるようになれ」。最後に、「相手が情報を言ってきてくれるようになれば、一人前の取材記者だ」と。
(『実践ジャーナリスト養成講座』より引用)

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2004年10月26日

被災地のテレビカメラ

新潟中越地震だが、テレビカメラの目線が気になる。
さっきNHKで、入浴施設無料開放といった内容で、被災者と思われる方々が浴槽につかっていたり、インタビューに答えていたりする映像をみた。
ぼくだったら、風呂の中までテレビカメラに入ってきてほしくない。
現場で取材クルーから被災者の方々に対し、「被災者の様子は全国的な関心事となっていて…云々」という説明があったかどうかわからないが。
しかし、中には、テレビカメラに写りたいくない人だっているだろう。

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2004年11月02日

新潟県中越地震報道をめぐる議論

新潟県中越地震報道についてはテレビを見ていて気になる部分があったので、10月26日に被災地のテレビカメラというエントリーに書いたのだけど、気がついたらブログ界でえらい騒ぎに。

詳細はネットは新聞を殺すのかblogマスコミ批判にマスコミ人が反論に。

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2004年11月04日

21世紀のジャーナリズム

編集権を読者コミュニティーに分散させることが可能な時代になろうとしているわけだ。これがわたしが理想とする「参加型ジャーナリズム」である。
批判に対する反論

↑この部分に激しく同意。

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2005年06月30日

市民記者

市民記者があちこちに生まれている。ここでいう「市民」とは、市民税を支払うひと、という意味ではもちろんない(と思う)。「21世紀の市民社会では、企業と行政という既存2大勢力に加えて、市民が社会の担い手として台頭する」というような文脈で使われる「市民」だろう。

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2016年06月23日

御用聞きと化した「ニュースランキング」報道

いま、テレビのニュースやバラエティでよくやっている、視聴者関心度順にニュースを並べる手法、いわゆる「ニュースランキング」をぼくが考えたのは、たぶん2002年のことだ。
とある報道系番組のホームページを担当することになり、じゃあホームページで投票してもらって、その順に出しましょう、と提案をした。
結局そのときは、お偉いさんの、「視聴者が知りたいニュースではなく、視聴者に伝えなければならないニュースを伝えるのが報道の責務」とのご意見で、そのアイデアは却下された。
ぼくはとてもがっかりして、ちぇっ、頭の硬いお偉いさんだなあ、と思った記憶がある。
時は流れ、今やニュースランキングの雨あられ的な状況となった。
聞くところによれば、先日の舛添バッシングも、視聴率が稼げるネタだったので、各社、ひくにひけなかったとの話も。
うん、なんかそんな感じだった。
みっともなかった。
舛添が、じゃなくって、報道各社が。
あれじゃただの御用聞きだ。報道なんて、とてもいえない。
というわけで、その頭の硬いお偉いさんの考えに、いまでは賛成。

(舛添氏については、昔、「六本木センター」の玄関ですれちがったことがあって、そのときの印象が悪いので、嫌いなんだけど)

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