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2012年09月 アーカイブ

2012年09月06日

どういう地平線に立ってるんだ僕たちは。

きょう、とあるお店にカキ氷を食べに行った。毎年カキ氷を食べに行ってるところなのに、今年は行けずじまいだったから、食べておこうと思って。
店のドアをあけたら、女たちがぎゃーぎゃー。椅子はすべて女たちに埋め尽くされていて満席だった。おばさん集団からヤンママ友達まで世代的にはワイドであったようだけど、こっちからみるとみんな一緒くたに見える。
ぎゃーぎゃーうるせえ。

電車の中でも女たちはぎゃーぎゃーうるせえが、話の中身はほとんどない。しかも個体/集団が変わっても、しゃべるトーンから内容からクリソツなのはどういうわけか。「あいうえお」を言い合ってるのと実質変わらないんじゃないのか。違うのか。そしてよく大声でげらげら笑うが、世の中そんなにおかしなことなんてねえだろ。ただのポジショントークであり舞台女優じゃん。
電車の中のそうしたトークが耳に入ると気が狂いそうになるので、僕は最近、イヤホンで音楽を聞くことにしている。
というような空間が、ぼくの好きな店のランチタイムに日に日に展開されていることを知らなかった。
ぼくは外の席に一人座り、セミの声を聞きながらカキ氷を食べた。おいしかったし、風情もよかったけど、蚊に刺された。

次に、とある作品展に行った。するとやはり、女たちが集っていた。僕以外の客は全員女だ。やはりおばさんから若い独身風まで世代的にはワイドであったようだったが、こっちからみるとやはり一緒くた。
一人の女が言った。
「癒されるうー」
吐きそうになった。
他にフレーズねえのか。
失礼だろ。
僕はその作品展は面白いと思ったので、写真集とポストカードをあわせて千円分買った。
おそらく場違いな客であったと思うが、その作品たちを眺めている僕自体は場違いでも何でもなかったはずだ。
ただ少数派であったというだけだ。だから何だ。

どうも僕は女が嫌いだ。

まあ、ああいう店とか、そういうギャラリーとか、女たちに占拠されていること自体は事前に容易に想像はできる。パターンだから。ああいうインテリアにはこういう客が来るよね的な。インテリアに群がって、時間と空間を消費して、イナゴの大群みたくあちこちを食い潰していくんじゃねえか。ぼーっと家でくだらないバラエティ見て、アホみたいな雑誌読んで、facebookで心にもない「イイネ」を連発して/連発されて、どこかに新しい店が出来たと言えばさっと群がり、まあこんなもんだよねと言いながら次の店に群がり…。新聞のチラシとかテレビCMとかに触発されて瞬間的に何か消費して。自分が望む自分像を演じ/相互に演じ、そのイメージの中で浮遊したライフを満喫しているのかどうなのか。だいたいあちこち代理店やらメディアやらメーカーやらの狙い通りに瞬時に踊らされてるだけじゃ統一的アンデンティティもなにもくそったれで自分が何者なのかわからなくなってしまう「カオナシ」化現象にはまってしまうだろうというのに、それで本当に楽しいんかいな。

筆が乱れた。

たとえばここ↓で述べられているfacebookの気持ち悪さと、「癒されるうー」を連発する連中の気持ち悪さだ。
元はてな・GREEのプログラマ 伊藤直也が語る、ソーシャルメディアの功罪。[前編]│CAREER HACK

「ほっこりするう」もついでに嫌いだ。

乱れついでだがあちこちラーメン屋が多すぎる。しかもどこも新規開店した風情の、売りはとんこつだの魚介系だのパンチがあってしかもしつこくない的な(?)どこもワンパターンな一回食えばもう飽きるだろう的な。壁紙張っただけの安っぽいインテリアでさ、店員はどこも似たような恰好してさ、怒鳴るような声で接客してさ。
どっか知らない駅におりて用事を済ます。さてメシだ。そんなラーメン屋はあっちにもこっちにもあるのに、他に飯屋はねえのか。あとは牛丼屋だ。
女たちがそんなことしてる間、男たちはこんな体だ。貧しい昼飯を消費させられているんだ。

現代日本に生きる僕らは一体全体どういう地平線に立ってるんだ。
バブルの時代は振り返って恥ずかしかったが、今もやっぱり恥ずかしい時代なのか。

僕はクリエイティブなものが好きだ。それだけなんだ。クリエイティブなものは次から次へと消費してはいけないんだ。

何を言いたいのかわからないがこれが僕にとってのインターネットだ。

2012年09月07日

悲しき「バーチャルイメージてんこ盛り」

きのう書いた「どういう地平線に立ってるんだ僕たちは。」の続き。

イナゴの大群みたいな女たちの消費性向、購買意欲をあてにしなければ成立しないビジネスモデルは、短期的にはそれでいいかもしれないが、いわゆる「持続可能な社会」とは相容れないのではないのか。

なんていうか、それは「イメージ」とのセット販売だ。ここに来てこれを買えばこういうあなたを約束しますよ的な。それはあくまでイメージであって実態ではなく、だから傍から見ると「裸の王様」とクリソツなのだが、とにかく現代消費社会ではイメージとのセット販売でなければ何も売れないよとばかりに広告を打ってイメージを構築し、その代金も含めた商品単価なわけだから割高なはずだが、そこは安い海外生産でコストを抑えるという形か。いっぽう、イメージレスの商品は徹底的に安さばかりが強調される。つまりは(砂上の楼閣だろうが裸の王様だろうが)イメージには支出するが他には支出しないという、バーチャル的な支出構造になっている。
商品に付加されたバーチャルイメージはすぐに陳腐になってしまうので、常にアップデートし、「最新のあなた」を演出しなければならない。売るほうはそれに腐心した自転車操業を続け、買うほうもそれを求め続ける自転車操業を続ける。
現状はおそらく、貧弱なリアルに、これでもかとバーチャルイメージがてんこ盛りされた状況であって、ここにきてバーチャルイメージを全廃棄すれば悲しい現実しか残らないから、引くに引けない状況になっている。

ただ一方で、そうした「バーチャルてんこ盛り状況」とは一線を画した世界もある。そこにどうやってたどり着けるか、考えたい。

「普通の」農作業って何だろう

うちの庭は雑草を抜かず、ある程度の高さになったら「切る」ことにしている。トカゲも元気に走ってるし、たぶん庭に生きるいろんな生き物にとっては生きやすい環境だと思う。

その中にある小さな畑も、雑草は伸びたら切って、有機マルチとして活用している。有機マルチを敷き詰めると、雑草はあまり生えてこない。

んで、うちの畑にはどうやら害虫が少ないらしい。
ぼくの実家では庭で「普通に」畑をやっている。草は見つけ次第に抜き、水は毎日撒き、農薬もよく散布しているらしいが、うちの畑を見て、「シソが何故あんなに虫に食われないのか不思議だ」と言っていたらしい。

うちのシソは大半が去年落ちた種から勝手に生えてきたもので、あちこちにこんもり茂っているが、確かに、ほとんど虫に食われていない。

というか、ありがちなアブラムシも含め、うちの農作物はあまり虫に食われたりしていない。
農薬はほとんど使っていない。
(テントウムシダマシだけは別。あれは大量発生して、手作業で潰した)

軒先にはアシナガバチもいるし、草を抜かないことでいろんな生き物が暮らしている。有機マルチどけるとそこにもいろいろいるし。たぶん、そういう環境がいいんじゃないかと思う。確認してないけど。

で思うのは、「普通の」農作業って何だろうか。たとえば昭和の戦前期とか、どういう農作業が普通だっただろう。畑の草を根こそぎ抜くのって、普通だっただろうか。実家の農作業をみてると、どうも戦後高度経済成長期の、画一的な工業生産チックな思想がダブる。(目の前だけの)効率性を最優先に、作物以外の植物をすべて抜き、よく耕し、肥料を与え、水を撒き、単位面積最大限の収穫を得る、そんな感じの。

2012年09月08日

いじめがなくならない根源的理由とか

いじめは決してなくならない。

なぜなら、その根底にあるのは、昨日と同じ今日、今日と同じ明日…という、相も変わらぬ平穏な毎日を維持し続けたいという共同体の強い願望だから。

それに気づいたそもそものきっかけは、いわゆる「ネット社会」のあり方。よく観察を続けていると、ネット社会は「平穏無事な僕らの日々」がベースになっていることがわかる。自分たちの根本的なあり方にメスを入れるようなことは決してせず、表面的に「騒げる」トピックスだけが、日々トピックスの内容を入れ替えながら、延々と続いている。
いわゆる「炎上」も、その範疇内で行われる。
ネット社会の住民たちは、根本的な問いが嫌いだし、避けるし、向き合おうとしない。自分らのルーティンライフはがっちり維持した状態で、ちょうど手のひらサイズな話題でいっとき感情を高ぶらせ、とくに深く考えることもなくブームを収束させる。
その繰り返し。

ああそうだ。
その前に、メディア自体がそういう性向を内包していることに気づいて、いっとき、ひどくやる気をなくしたことがあった。

つまりこれはネット社会という特殊な環境下だけのことではなくて、日本社会がそもそもそういう性向を強く持っているのだ。
しかも伝統的に。

日本のマスメディア普及は、戦争という「イベント」によって促進された。農村に新聞やラジオが浸透していく過程で、戦争は最高のトピックスだった。当時はまだ出征兵士の数は少なく、村に数人(?)という程度だったから、多くの村人にとって戦争とは、自分たちの日々の暮らしとは無縁の、しかも興奮を共有できるトピックスだった。
(↑専門家に以前聞いた話だけど記憶だけで書いてるので不正確かもしれない)

平穏な暮らしを誰もが望む。その反面、何も起こらない日常は退屈だ。平和な社会で退屈をしのぐには、戦争みたいなことのミニ版がすぐそばで起こればいい。戦争みたいなこと。みなで感情をシェアできること。「誰かをいじめること」の意味はそこにある。いじめられる「誰か」は共同体を平穏無事に過ごすために犠牲にされる。

重要なポイントが1つある。
いじめられる存在は、あくまで共同体の成員でなければならない。
つまり、たとえば、同じクラスメートであっても、みんなと全く価値観も行動も発言も違う異端児は、共同体の成員とはみなされないので、いじめの対象にはならない。
たとえば、いじめられた反撃にクラス全員をぶっ倒すような攻撃的な存在は、そいつをいじめたことによって共同体が崩壊しかねないので、いじめの対象にはならない。
いじめの目的は共同体の維持だからだ。

だから、いじめられたくなければ、共同体を離脱して、孤高の道を選べばいい。
これは経験則からもいえる。
「出る杭は打たれる」というが、案外そうでもない。
出すぎた杭は打たれない。
けっこう簡単なことだ。
が、みんながそうなっちゃったら、たぶんそれは伝統的な日本社会とは違うことになってしまうと思う。そこで僕らが住みやすいかどうかは…微妙なところ。

なぜこうした観点でいじめを論じないのか、キレイゴトばかりが横行しているのか、僕にはよく理解できない。こう思っているのは僕だけではないはず、気づいてる人はたくさんいるはず。だってみんなバカじゃないから。気づいていながら、あえてそこに踏み込もうとしていないのなら、それが何故かも理解できない。踏み込んで困るようなタブーだとは思わないから。
ってことは、みんな口だけで、心の中ではいじめなんかなくならないと思ってるけど、それ言ったらおしまいだから、適当なところでお茶を濁しているってことかな。構造的にはそれもいじめとおんなじなんだけど。

あと、いじめによる自殺がここのところ大きなトピックスになっているが、自殺というのは人を殺すエネルギーが自分に向かっただけのことで、人を殺すエネルギーという危険な存在に変わりはない。もともと思春期は精神エネルギーが高い時期なので、そのエネルギーがいろんな方向に暴発しがちなわけだが、社会維持のためにはある程度コントロールし、封じ込める必要があると思う。

以下、過去ツイッターに書いた関連ツイート。

変わらぬ平穏な日々を維持したいという願望は真っ当だし否定する気はさっぱりないんだけど、ネットの炎上も学校のいじめも、そこから起っていることではないかというのが僕の仮説。誰かを叩く、血祭りにあげることを共同体のガス抜きに使って、根本的な課題を放置するというイヤらしい人生の知恵。 [ link ]

かつて小作争議というのがあったが話題になったわりには社会変革はもたらされなかった。多くの農民が部分的小作農であり現状維持を望んだからだ。/以上、聞きかじり。…という例のごとく、日本社会は伝統的に変革を好まないし、日本で(外圧なしの)革命は起りえない。
[ link ]

いじめのない日本社会って、ありえないんでねえか。和と表裏一体だから。いじめ撲滅なんて不可なキレイゴトじゃなく、現実的対策したらどうか。
[ link ]

2012年09月16日

風評の国

3.11で、日本が「風評の国」であることを知った。

風評が人々の(消費)行動や大金を動かす構造は不健全だと思うのだが。

追記:2012-09-17 17:18
グローバル化が進むほど、風評は拡大するだろう。
普通の暮らしをする普通の人々は、自分が日々営む日々の暮らしでだいたい精一杯である。大半の人は多少怠けてもいると思うが、多少怠けて、結果精一杯ぐらいの暮らしを、みな過ごしていると思う。
つまり、自分の日々のあり方に根本的にメスを入れる気はないし、そんなにヒマでもない。
自分が直接関係すること、つまり、最近ガソリンが高くなったなとか、冷蔵庫の冷えが最近イマイチだなとか、さてどこに買い物に行くかなとか、そういうことに思考の約9割以上を使っているので、自分が直接関係しないことには残りの1割しか思考を使わない。
だから、テレビや新聞やツイッターのいうことを鵜呑みにしたりとかするのだ。別にバカだからじゃないのだ。考える能力はあるけれども余裕はない、もしくは、効率的な頭脳の使い方をしているだけなのだ。
実際問題どうなろうと自分には直接関係ない(と思える)事柄には、あまり頭を使いたくないだけなのだ。
ということは、風評から抜け出すには、自分に直接関係あることになることだな。

2012年09月18日

「頑張る」はすでに美徳ではない

頑張る、とは何か。

僕らの文化では、頑張ることは基本的にイイコト、美徳とされている。怠け者は「もっと頑張りなさい」と言われるし、頑張っているマラソンランナーには「頑張れー!」と声援が飛ぶ。

一方で最近では「頑張らなくてもいいんだよ」的に言われることもあるけど、それも、「頑張る=美徳」を否定するものではない。頑張るのはイイコトだけれども、それだけだと息がつまる、プレッシャーで失速してしまうから、もっとリラックスして、というような意味合いで使われる。

頑張る、とは普通、「月月火水木金金」的に、ろくすっぽ休みもとらず一心不乱に仕事や何かに打ち込むことをイメージする。海軍なら猛訓練、受験生なら猛勉強、スポーツ選手なら猛練習。

そうした取り組みが効果を発揮する局面も、たしかにある。

だが、一方で、国家滅亡の危機に直面した一国の指導者がとるべき態度は、こうした「頑張り」だろうか。
もちろん違う。
じっくりと考えてか、瞬時にかは状況によるが、必要な情報を集約し、適切な決断を下し、それを実行することだ。
冷静な思考判断を求められる一国の指導者が「頑張って」しまってはいけないはずだ。

つまり、「頑張る」が美徳とされるのは、たとえば国家の統治構造でみた場合には、末端というか現場というか、命令を実行する立場においてである。
何をすべきかがはっきりしている立場においてである。

それはしかし、誰にでも言えることなのではないか。

何をすべきか、すべてはっきりしている人なんていない。いたらそれはロボットだ。僕らは常に、何をすべきか、頭で考えながら日々を暮らしている。
「頑張る」とは、思考を停止する状態だ。

僕らがいつも頑張ってしまったら、つまりいつも思考を停止してしまったら、誰がその代わりに思考するのか。たぶん会社であればそれは上司だったりするんだろうが、それでいいのか。思考をアウトソーシングしていいのだろうか。
「忙しいから」と、多忙を言い訳に、考えることを停止し、他の誰かの決断にすべて委ねてしまっていいのだろうか。

それは危険だ。

日本はもともと村落共同体(=つまりムラ)の社会であるから、共同体の決定(=自分ではない誰かが決めたこと)に従うことに抵抗はない。むしろそれが、正しいことと思われている。共同体の決定に従順に、精一杯頑張ることが正しいムラビトの姿であった。それは日本が戦後企業社会へと変貌しても残った。会社の決定に従順に、自分は何も考えず、精一杯頑張る姿がエコノミックアニマルであったし、高度経済成長時代のサラリーマンであった。

しかしもはや、正しい決定を下してくれる、自分が何も考えず従属すべき共同体などは存在しないのではないか。ひとりひとりが考え、決断をすべき状況にあるのではないか。

となれば、「頑張る」はすでに美徳ではない。
頑張ってはいけない。

ぼくら自身が各自納得しうる判断を下すためには、決して頑張らず、一国の指導者と同様、必要な情報を集約し、適切な決断を下し、それを実行することが大切ではなかろうか。

以下、今年になってから書いたこと。

2012年02月19日:
真面目に働くのは正しいことか?

2012年7月24日:
作業効率を上げ、作業時間を延ばし、つまりひたすらタスクをこなし続けること、イコール、がんばることだとは決して思わない。

2012年7月25日:
猛烈に頑張ってる状態のときにふと思うのは、もしかして破滅に向かって猛烈に頑張ってるんじゃねえだろーなーという、妙な感覚。

2012年09月21日

曽我逸郎氏の文章を読んで。

長野県中川村の村長、曽我逸郎氏の文章、「日本を誇れる国にするには 英霊にこたえる会会長の講演を聴いて」から。

機の不調などで目標に到達できず生還した特攻隊員を日本軍はどう扱ったのか。
僕はそうした元特攻隊員の方に取材をしたことがある。彼らは、元の部隊に戻れない。それどころではない。周辺関係者にも取材をした。みな、口をそろえて、生還した特攻隊員をボロクソに非難する。その非難のひどさに、僕は言葉を失った。 生還した特攻隊員は、その後の消息がたどれないケースがままある。同期の人に聞いても、わからない。 ある人は、「あんな奴、ろくな死に方をしないよ」とまで言い放った。

ひとり、生還した特攻隊員の方で、戦後、実業家として成功していた方がいた。たぶんレアケースだと思う。彼はきっと、そうした心ない非難とずっと戦って生きてきたのだ。

僕が取材した特攻隊は、いわゆる最後の特攻隊、玉音放送後に正式な命令によらず行われた出撃だ。そこで仮に何らかの軍事的な成果を出せていたとしても、すでに遅し、無意味な特攻だった。生還するのが本来的なスジだと思う。軍は目的のために行動するのであって、徒に貴重な戦力を消費してはならないからだ。
なのに何故、戻ってきた彼らが、こんな物言いをされなくてはならないのか。

取材したのはもう10年以上も前のことだが、いまでも覚えている。

もうひとつ。

中條氏は「戦争は罪深いものだが起こる。だから避けてはいけない」と仰る。
これは違う。
戦争は愚かな行為だ。外交が破綻した先に起こるのが戦争なのであって、戦争を起こすということは、外交がろくでもないということではないのか。起こしたこと自体、反省すべきだ。
ほかの戦争は調べてないから知らないが、少なくとも日中戦争、太平洋戦争は、避けられた。日中戦争の発端についてはすでによく知られているから省くとして、太平洋戦争だ。いま流行りのフォロワーシップの問題にすることもできるが、より直接的には、さまざまな状況(国外、国内)を冷静に分析し、大局的見地から決断を下すシステムと、そのシステムを適切に運用しうる、勇気と知性を備えた指導者がいれば、避けられた戦争だった。

それについてはすでに確証があるが、いずれきっちり、検証をしたいと思う。

2012年09月22日

日本人の「自信」

「自信」について考えた。

きっかけは、自分が実は自信を持っていないのだと気づいたことから。
フリーランスとして、仕事をただ「受ける」だけの立場にいる限り、自信は持てない。新宿アルタ前の広場でただ声がかかるのを待っている日雇い労働者と実質的には同じだ(←座ってたら声かけられたことがある)。

いっぽう、僕の父はもう定年退職して長いが、いまだに自信たっぷりであるように見える。ここで言う「自信」というのは、何か、揺るがない確信、とでもいうか。
父は電力会社の社員だった。たいした仕事はしてないと思うが(といったら本人は怒るだろうが)、それでも地元では大企業であり一流企業だ。
大企業を勤め上げた、というのが、彼の自信の源であるように思う。

で、話はいきなり日本人になる。
ぼくらの祖先が「日本人」になったのは、そんなに昔のことではない。明治以降だ。しかもたぶん、最初っから「日本人」という意識があったのではなくて、徐々にその意識が芽生え、定着してきたはずだ。おそらく、日清戦争、日露戦争という、否が応でも世界を意識せざるを得ない「ビッグイベント」を経て、その意識は強く育まれていったのだと思う。
日本という国家の運営方法。資源もない小さな国が世界の大国、強国にのみ込まれないように生きていくために、官僚組織をヒエラルキーの筆頭にしたピラミッド構造をつくり、「一丸となって」生きていくのが最善と考えた。少なくとも官僚たちはそう考えた。そこから統制経済の発想も生まれたし、一億玉砕的な発想も生まれた。終戦直前、少なくともある革新官僚は、戦後もアメリカのような自由主義ではなく統制主義でいくべきだと考え、全国民が本土決戦に備え竹槍訓練とかやってる状況を望ましいと考えていた(←ごめんなさい、今後資料手元においてちゃんと書きます)。
つまりそれが、3.11の大震災後にしきりに叫ばれた「ひとつになろうニッポン」の原点といえると思うのだが、ともかくも、「団結すれば強いんだぞ俺たちは」という考え方が、明治以降、育まれていったのだと思う。

何が言いたいかというと、国の官僚機構からその支配下にある大企業、さらにその傘下にある中小企業…といった、末端までに至る一糸乱れぬヒエラルキーが少なくともイメージにあって、そこに所属している、俺の立ち位置はここにある、と確信がもてることが、日本人の自信になったんじゃないか。

バブルがはじけ、失われた10年だか20年だかの停滞で、その秩序が乱れ、立ち位置のよくわからない、確信の持てない人が大量輩出された。
だから今は、相変わらず自信いっぱいの年寄りvs自信喪失の若者、という構造になっている。

ただ、いまの年寄りの心の支えになっているものは、国家という団体戦の時代じゃなくなるとともに幻想化していく宿命にあるので、僕らがノスタルジーを感じても仕方がない。

僕らは、グローバル化の中で「地方」「地域」「ローカル」というアイデンティティを持つことができると思うし、また、ピラミッド構造から切り離された、個としてのアイデンティティを獲得することも可能だろうし必要だろうと思う。

思考途中ですが今日はここまで。

2012年09月23日

コメント設定変更

これまで、コメント投稿にはTypePadのログインが必要な設定にしてました(記憶にないですが、途中から、mtバージョンアップのさい、たぶんデフォルトのまま)が、いちおうログイン不要で誰でも書き込めるように変更しました。

ただし承認制にしてますので、僕が承認しないコメントは公開されませんし、たまにしかチェックしないかもなので公開までけっこう時間がかかるかもしれません。

頑張るプレイ

一生懸命に頑張ることは美徳である。
…と言われて、否定する日本人はいないだろう。

ところでこれ、日本人以外ならどう思うだろうか。
つまり、この考え方にどれだけの普遍性があるだろうか。
本当に、一生懸命に頑張るのは美徳なんだろうか。

戦後日本の復興から高度経済成長を引っぱってきた人たちは、「俺たちが一生懸命頑張ったから今の日本がある、君たちはその恩恵を受けているじゃないか」と僕に言うかもしれない。
本当にそうか?
たしかに一生懸命頑張ってた人はいたと思うけど、それは少数派じゃないのか。多くは人の努力にぶら下がって生きてきたのじゃないのか。

申し訳ないがはっきり言うけど、そう主張する世代つまり現時点でのお年寄り世代を見るに、個人差というか濃淡かなりあるけど、みんながみんな、働き者には見えないし、日本を引っぱってきたような能力を感じる人だって限られているぞ。

ただ時代の波にライドオンタイムしただけなんじゃねえの?たまたま乗った電車が特急列車だっただけでねえの?

だいたい頑張るって何だ。朝早く出勤して午前様の帰宅の毎日のことを言うのか。それってただの長時間労働じゃないのか。もっと労働時間を短縮できたのじゃないのか。勤務中、濃い時間を過ごしているのか。外回りの喫茶店で昼寝とか、同僚とダベリとか、けっこうそういう時間だってあるはずだ。

オール日本、頑張る「ふり」をしてきたんじゃないか。
「頑張るプレイ」とでもいうか。
で、高度経済成長時代はそれでよかった。時代がよかったから。
でも、「頑張るプレイ」しか知らなかったから、その後の難しい時代に対応できていない。それが今、なんじゃないか。

一生懸命に頑張ることが美徳だというのは、少なくとも戦後日本に関しては、たんなるファンタジー、幻想に過ぎないのではないか。
一生懸命に頑張ってきたのは、明治維新から、戦争に負けるまでの話じゃないか。

ぼくらがすべきなのは、しゃにむに頑張ることじゃない。
目的地に到達するために必要なことは何なのかを考え、限られたリソース(手間、コスト、時間)を投入するタスクを精選し、効率よくプロジェクトを実行に移し、成功へと導くことではないのか。それは、頑張ることとは違う。

2012年09月24日

美術と工芸と技術の国ニッポン

日本は美術と工芸、そして技術の国だと思う。だから、アイホンなんてメじゃないような、スッゲー製品を世界に送り出すポテンシャルがある。
美術と工芸は職人、技術は町工場。つまり大企業ではない。大企業が社内にたんまりかかえる、大学出で頭でっかちでプライドばかり高くて生産性の低い連中を大量排出して、かわりにそうした職人や町工場とのコラボを進めればいい。元請・下請ではなく、対等な立場のコラボ。大企業はファシリテーター的な機能と、アッセンブリーの生産拠点だけを社内に残し、あとは全部、外注で作ればいい。

2012年09月25日

風評で損なわれる関係

風評で損なわれる関係とはどんな関係だろうか。

風評で損なわれる友達関係。…親友だったら話し合ってわかりあえるだろう。風評で損なわれるような関係なら、その程度のことだ。

生協、東電に2300万円請求=「原発事故で風評被害」と提訴─千葉地裁

 東京電力福島第1原発事故による風評被害で売上高が減少したとして、なのはな生活協同組合(千葉市)は24日、東電を相手に約2300万円の損害賠償を求める訴訟を千葉地裁に起こした。
 訴状によると、なのはな生協は原発事故後、野菜や米の売上高が3割減った。同生協が扱う米の8割は福島県産で、風評被害で買い控えが起きたという。
 生協側は、事故が起きた昨年3月から今年3月までの損害や放射性物質の自主検査費用などを東電に求めたが、東電は「国の出荷基準で安全は担保されている。仕入れ先を変更するなど回避策を講じるべきだ」として、昨年8月までの損害の一部約1050万円を支払っただけという。
 同生協の加瀬伸二理事長(62)は記者会見し、「明らかに人災。組員や生産者の利益を守るために決断した」と話した。
 東京電力の話 訴状について承知していないためコメントは差し控える。(2012/09/24-21:59)
[ link ]

なのはな生協が東電を訴える心情はとてもよく理解できるし、その苦境にも同情する。けど、その一方で、なにか割り切れない気がして、考えていったらこういう考えに至った。

スーパーではなく生活協同組合である。風評で損なわれる組合関係ということになるのだが、それはいいのか。

最近、生協と普通のスーパーの区別がつきにくくなっているのだが、売り上げ、収益よりも、信頼関係を第一にするべきなんじゃないかと思うし、そうであれば風評被害など起きようがないとも思うのだが。

売り上げガタ落ちでたいへんお困りのなのはな生協を例に出すのは少し申し訳ないんだけど、そもそも、風評で損なわれる関係ということは裏を返せば風評で儲かってもきた関係でもあったのではないかと思うし、その関係は広く日本全土を覆っているのではないかと思うし、その関係自体に、問題があるのではないかと思う。

たとえば僕のお気に入りの、いきつけでもあるコーヒー豆屋さんがあるのだが、何か起こっても、買い控えなんかしない。むしろ、コーヒー豆屋のおじさん、おばさん(いつもいろんな話をするのだ)を支えようと、いつもより多く買うかもしれない。
店と客の関係であっても、風評で損なわれない関係もある。

2012年09月27日

取材記者のかざす大義

朝日新聞2010年9月19日付「声」の欄。大事にとってあったもの。あえて全文紹介する。

「事件風化させぬ」何度も聞いたが

無職 中村佑
(山口県下関市 69)

 2001年の米同時多発テロで、次男の匠也が犠牲になった。「事件を風化させないためにぜひお話を」。何度同じ言葉を聞かされただろう。

 事件後1、2年は素直にそうだなと記者の言葉にうなずいていたが、やがてその言葉が非常に煩わしく聞こえるようになった。風化させぬ大義のため、あなた方の質問にしぶしぶ答えなくてはならんのか?ある時「私たち家族の中では絶対に事件は風化しません」と言い返していた。

 多くの記者は「風化させない」という大義をかざして取材に来る。だが何人かはお定まりの言葉を口にせず、むしろ私の気持ちを軽くした。がんと闘い、死と向き合った後に復職された記者の言葉は優しかった。平和をたずねて日本中を歩き、痛哭のドキュメンタリーを出版された方の話には、私が身を乗り出した。

 事件取材をきっかけに、今も折々連絡をくれる記者もいる。日本のメディアが総選挙に向いていた時も、「元気ですか」といたわりの電話をくれた。そして11日「変わりはないですか」と、その記者は電話をくれた。巡ってきた9度目の11日を、重たい気分で迎えていた私の心が一瞬はずんだ。


思うに、「取材記者」と名乗るのはたいてい新聞社の社員か放送局の社員・職員であって、ようは取材記者である前に被雇用者でありサラリーマンである。ちなみに僕もその肩書きを名乗ろうとした時がかつて一瞬あったが、一般人にたちまち誤解されたのでやめた。取材記者イコール新聞社の社員か放送局の社員・職員という図式が(間違って)浸透してしまっている以上は仕方がないが、もともと明治の新聞発生当時にはそんなことはなかった。話を戻すと、彼ら社員・職員が優先順位の筆頭からその安定的な立場を外すことは滅多にない。これは取材姿勢、報道姿勢に決定的な影響を与える。彼らはいわば自らの身の安定を第一とするばかりでなく、そのために事件事故を利用しているとすら思うときもある。また、これも絶対ではないが、記者と名のつく方々のなんて傲慢、高慢、プライド高く人を見下す態度であることか。フリーランスなど彼らにとっては虫けら以下であろう。ということで、考えてみれば取材記者が安定的な高給取りである必要はさらさらないのだから、新聞社と放送局は彼らをいったん全員クビにし、改めて業務委託契約を1年おきくらいで結び、ギャラを下げて僕並みにし、それで嫌なら転職してもらい、残った方々も厳しい生存競争を勝ち抜くというシステムにすれば、人件費はぐっと抑えられるわ、取材と報道の質も上がるわ、志のある者だけしか残らないわでいいことずくめではないかと無茶な提言をしたりしてみるのである。

2012年09月28日

片島紀男さんを偲ぶ。

ぼくが片島紀男さんと一緒に仕事をさせてもらったのは20代。一度きりのことだったけど、強烈な経験だったから、忘れっぽい僕でもよく覚えている。
片島さんはNHKのディレクターだった。別格だった。ガイコツみたいなおっかない顔をして、鋭い目つきをしているのに、笑うとすごくチャーミングな顔になった。
NHKの職員であったから、当然サラリーマンであり組織人ではあったのだけど、そういうところをまったく匂わせない、スタンドアローンな人だった。
自分の取り組む番組に、心底、打ち込んでいた。没頭していた。もうそれだけしか見えていなかった。しだいに妄想の領域に入ってしまったりして、僕らは一生懸命、片島さんを現実に引き戻していた。
1991年8月に放送した、NHKスペシャル「シリーズ・アジアと太平洋戦争」第3回「マッカーサーの約束 フィリピン・抗日人民軍の挫折」という番組だった。あとで知ったのだけど、これを制作途中、片島さんは思いつめた挙句、飛び降り自殺をしようと、NHKのビルの屋上に上がったらしい。そのとき、「紀ちゃん…」と呼ぶ奥さんの声がどこかから聞こえて、思い止まったらしい。
当時かなり能天気だった僕は、外の中華料理屋で晩飯を食べながら、聞いたことがある。こんな意味のこと。「片島さんはなんで歴史番組をやってるんですか?」
片島さんはこんな僕にも丁寧に答えてくれた。しばらく考えたあと、「時を経たからこそわかることがある」…そんな意味のことを僕に言った。
当時の僕は「ふーん」ぐらいにしか思わなかった。なにしろそれまで歴史だとか昭和史だとか戦争だとか関心ゼロで、はじめての歴史番組だったから。

あれから20年以上経った。多くの歴史番組で取材を担当し、今になってやっと、片島さんの言った意味がわかるようになった。

現在進行形の渦中にいると、自分がどういう立ち位置にいるか、歴史軸でどういう位置づけにあるか、わからない。自分史のなかでも、時間が経って振り返れば、「あああの頃はこうだったな」とわかるように、国家の歴史も、時間を経て振り返ってこそわかることがある。そこにある教訓、レッスンを汲み取ることができる。今の国家、今の僕らにもつながる問題が見えてくる。歴史は検証されなければならない。それが先人の努力にも報いることになるし、次の世代の肥やしにもなる。

天国にいる片島さんは、いまの僕をどう思うだろう。
片島さんのフィリピンみやげの鴨の木彫り、いまだに部屋に飾ってますよ。

※↓ツイッターで以前書いた。

時を経たからこそわかることがある、と、片島さんは当時若かった僕に言っていた。

2009年9月16日 - 20:46

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