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2011年12月 アーカイブ

2011年12月27日

ああ言えばこう言う国ニッポン。

先日、とても納得できる新書を買った。山本一郎氏の『リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか?』。

なかでもいちばんうなずいたのはp110の「何を追及し、何を諦めるか」のところ。

国民は、官僚批判を繰り返し、国家の問題の過半が官僚の私利私欲によって引き起こされていると政治家が喧伝するとこれを喝采する一方、自身の生活を振り返って考えると国立大学に我が息子を入れるための受験戦争に身を投じ、将来の希望に公務員と書く親子の割合はなかなか減りません。 増税はけしからん、官僚の数を減らせと言う割に、市民サービスの切り下げのは反対であるとか、もう無理筋という言論がたくさん表出してしまう。確かに矛盾しています。そして、このような意見の矛盾や行動のちぐはぐさは生まれてしまう理由は、極めて簡単です。国民自らが何を望んでいて、何に優先順位を置いているから、何を追及すべきで、何を諦める必要があるのか、国民自体が分からなくなってしまっているのです。 ……空間軸の両側に位置する都会の住民の要求と、地方の要求は往々にして対立します。そのとき、両方の意見を聞いて、両方の意見に首肯し賛成してしまう人々が後を絶ちません。日本人らしい、と言えばそれまでなんですが、日本人の和をもって尊しとする精神とはまた別に、高度成長の折に強烈に体験した「折り合っておけば、パイが勝手に成長して分け前が増えて、問題が時間が解決してくれる」という思考停止が、恐らくそこにはあるだろうと思うのです。

結局のところ、ぼくら自身の問題。

見渡せば、あっちにもこっちにも「ぶらさがり」だらけの国、ニッポン。これだけ大勢の「ぶらさがり」を抱えてりゃ、スピードもパワーも落ちるわ。

まあ、ぶらさがる側にもそれなりの言い分はあって、そこは日本人らしく、律儀にぶら下がっているような気もするのだけど。

また、それとはあんまし繋がりないけど思い出したから書いとくけど、明治以降の日本は「狭い国土・貧しい国力」という自己認識を基本にしてきた。革新官僚の統制経済って発想もベースはそれで、「国力は貧しくとも皆がひとつになれば大国と互角にわたりあえる」と考えての国家総動員だったんだろう。かつ、「中央での統制は可能だし、統制したほうがパフォーマンスがいい」と官僚たちは考えていたんだと思う。ただ実際には戦前・戦中の統制経済は彼らがイメージしたほどにはうまくいかなかった。当時はコンピューターなんてないから計算尺とかで必死に計算したんだけど、経済の隅々までごく少数の頭脳でコントロールするなんてどだい無理だったし、実際には統制と市場のコラボ、壮大な実験だった。おそらく、強力な国家統制が実現し、それが最も効を奏したのは敗戦後復興期の2〜3年。だが以後も「統制×市場」のコラボは続き、「狭い国土・貧しい国力」という自己認識に基づく「中央での統制は可能だし、統制したほうがパフォーマンスがいい」という官僚の考えは継続され、今に至るんだけど、これだけぶら下がりが増えてしまったら、それも制度疲労ではないだろうか。自己認識からupdateする必要があるんではなかろうか。

お客様扱い

ぼくらはいつでもどこでも「消費者」として扱われ、お客様扱いを受ける。「お客様」と最上級の呼び名で、大変丁寧に取り扱われる。マニュアルどおりに。

接客がわにしてみれば、どうせぼくらは十派一からげ。とくに記憶に残らない「普通の客」か、もしくは「面倒な客」としてインプットされる存在にすぎない。ほんとは「様」でもなんでもない。便宜上ただそう呼ばれているだけ。

そんな存在に押し込まれることを僕らは願っていたのか?

かっこいい大人になりたかった僕たち

僕らが子どもの頃、テレビでたくさんの「かっこいい大人」を観た。

ルパン三世もそうだし、松田優作の探偵物語もそうだし、「傷だらけの天使」も「俺たちは天使だ」も、みんなかっこよかった。

ああいう大人になりたい、と当時の僕らはきっと思ったはずだ。

それが今じゃどうだろう。

2011年12月30日

この国のデフォルトスタイル

この国のデフォルトスタイルは、巨大な「ぶらさがり(パラサイト)」構造。子どもは親にぶらさがり、親は会社にぶらさがり、会社は国にぶらさがり…。

ぶらさがりの連鎖の先にあるのは、からっぽな権力構造。明治政府、「朝臣」が日本の官僚のルーツだという。日本の官僚組織はリーダーが意思決定をしなくても回っていくように制度設計されている(←ちゃんと検証してないから、あくまで仮説だけど)。重要なことが、なんとなく合意形成→決定されていく。太平洋戦争の開戦経緯はそうだ。もちろん、開戦を決定したフォーマルな会議は存在する。大本営政府連絡会議→御前会議。だが、開戦を決定した実質はそこにはない。

おそらく原発もそうだろう。フォーマルな合意形成プロセスを経て原発導入が決定されたというより、中央にいる複数の権力関係者たちの、アンフォーマルなコミュニケーションの果てに、なんとなしにその方向に向かっていったのではないかとこれはあくまで想像。
「中央にいる複数の権力関係者」と非常に曖昧な表現にしたけど、実際そうではないか、官僚だったり財界だったりの属人的なネットワーク。

結局のところこの国は特定の誰かが舵取りをしているというよりむしろ誰だかわかんない大勢の人々のなんとなしの合意形成でなんとなく進んでいる。

責任不在といえばそうなんだけど。

むしろ僕がいいたいのは、ぶらさがり構造のほう。
おそらく省力オートマチック社会なのであって、ぶらがっていれば悪いようにはしないからという無言の約束があるんだ。

で、その構造や前提や約束がいつまで維持されるのか。…3.11の震災と原発危機は、この国のこうした構造を露呈させると同時に、その構造の崩壊を意味するのではないか。

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