« 2009年04月 | メイン | 2009年06月 »

2009年05月 アーカイブ

2009年05月14日

地上波が辛い。

晩飯を食べながら、また、酒を飲みながら、テレビを見る。さいきん、地上波が辛いので、テプコケーブルテレビ(※)のコミュニティチャンネルでローカルなニュースや風呂めぐりを見ることが増えた。低予算だし、同じ内容を何度も再放送しているので、つまらないといえばつまらないのだけど、地上波とくに民放を見るよりまし、と思うことが多い。

これはいったいどういうことなんだろうか。

一方では、民放の番組制作において、低予算な番組づくりの方向性が間違っているのではと思ったりする。とにかく見てて辛い。なんでゴールデンにこんな番組ばかり持ってくるんだと思うことがしばしば。もちろん面白い番組もあるけどね。

もう一方では、テレビにさほど上質なものを求めていないという、一視聴者としての自分を感じたりする。いつからなのか、もともとなのかわからないけど。だけれども、ドラマなんかの「作り物」にはそこそこの質、金のかかった「作品」を求めている感もある。なかなか難しい。

※テプコケーブルテレビ:いまは名前変わったらしいけど。

続きを読む "地上波が辛い。" »

2009年05月15日

日本をダメにしたのは国民自身

…だと、城繁幸氏の言説を引用しながらZopeジャンキー日記が書いている。

そうですね。

そうですね、なんですけど、これまでなかなか、こういう話が出てこなかった。

が、どうも最近そういうモードになりつつあるのではないかと、具体的には書けないけど別のエピソードからも思うんだ。

ありがとうは勝利宣言か?

親が子に「生まれてきてくれてありがとう」、子が親に「生んで(産んで)くれてありがとう」と感謝するのが最近ブームのようでありますが、ぼくは違和感感じます。

だって、人生いろいろ、時には辛いこと悲しいこともあるではないですか。そんなときに「産んでくれてありがとう」なんてぼくは思わない。むしろ、「あーなんで生まれてきちゃったんだオレ」と嘆き、恨むほうで。

子どもに対してだって、バブちゃん(乳幼児期)は別として、大きくなればいろいろあるじゃないですか。ときに「なんでこんなガキを作ってしまったんだオレ」と嘆き、恨んだりしてさ。

なんでありがとうなんて言うのだろう。そんなにハッピーばかりの人生なんてあるのかな。もしくは平板?

ありがとうを口にすることで一種の勝利宣言と思えなくもない。でも人生これから長いし、ぼくは勝ち組とか負け組とか信じないから、さっさと勝利宣言も出さないし敗北宣言も出さないし。

それにしても。オレはいったいいつまで生き続けるのだろうか。まだまだやり残したことがたくさんあるのでとりあえず生きるつもりではあるけど、かといって、全部やりつくしたらその瞬間にバタンキューってわけにもいかないだろうし。

みんなどう考えてるんだろう、そこんところ。

2009年05月19日

エコリカのリサイクルインクカートリッジは使えない(怒)。

エプソンPM-A850にエコリカのリサイクルインクカートリッジを使ってみたが、これはダメだ。

かすれる。印字が汚い。クリーニングしてもダメ。ほんとにダメな不良品が混じっている。残量計測が不正確らしくインクが切れたまま何枚も印刷した挙句にインク切れ表示。

なにがエコだ、結果的に紙を大量に無駄使いする結果に。手間と時間もだ。

もう使わない。

2009年05月21日

無責任な正義漢

けさ見たNHKニュースによれば裁判員制度は「参加したくない」が多数だそうだ。

その一方ぼくらは品行方正で怒りっぽい。これはネット界だけのことではない。

つまり正義を振りかざし他者を糾弾するのは好きだがそこに責任がともなうのはイヤだというきわめて無責任で自分勝手な姿がぼくら自身だ。

…ちっとも変わってない。

2009年05月25日

ママ礼賛

という週刊誌(アエラ?)記事をいま大野勢太郎さんが紹介、「この記事、行きすぎじゃないですか」とコメントしていた。

でもなんか最近「ママ・ファシズム」「ママ至上主義」とでもいいたくなりそうな雰囲気がなくもない。(←表現は不正確、あくまで感覚的)

渋谷スクランブル交差点でベビーカーを押したママ数人一列ですごい勢いで歩いてくる。人込みがクリアになったとたん眼前にあらわれるその姿にあわてて避難。まるで「そこどけママのお通りよ」とでもいわんばかり。

というのはあくまで一例。

たしかロイター伝だったか、イギリスではベビーカーはステイタスの証なんだとか。

カテゴリー&最新記事

Powered by
Movable Type 3.33-ja

track feed