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2010年08月 アーカイブ

2010年08月08日

昔とは暑さの質が変わったのか。

私が子どもの頃は気温が30度を超えると「今日は暑いねえ」と言ったものだが、今や最高気温35度、36度も当たり前になった。昔とは暑さの質が変わったのである。

これは今朝(2010年8月8日)、朝日新聞声の欄(9頁)に掲載された“「エアコンは体に悪い」見直そう”という投書。神奈川県藤沢市在住51歳男性から。

こういった話は時々見聞きするのだけど、ほんとだろうか。
と思ったので、気象庁の過去の気象データ
から、埼玉県熊谷の最高気温データを調べてみた。データがある1961年から、去年まで。

確かに最近の最高気温が上がっているような気もするけど、昔も充分暑かった。「最高気温35度、36度も当たり前」なのは変わってないと思う。51歳男性が14歳だった37年前、1973には38.7度の最高気温だったし。男性が住む藤沢ではないけど、横浜では1962年に37.0の最高気温が出ている。

明治時代からの「日平均気温の月平均値」もある。7月・8月の平均気温値も、グラフにはしなかったけど、まあざっと見て25度前後って感じで、少なくとも大幅に上がっているようには見受けられない。

ということで、この男性が書いていることは正しくない。「昔とは暑さの質が変わった」とすれば、気象ではなく、現代の生活環境、たとえば家屋の構造だったり、緑+土からコンクリートに変わったりして、実際の生活で感じる暑さが変わった、ということではないだろうか。

2010年08月22日

「なりたい自分になれるはず」について

なりたい自分になれるはず、というのは、ほとんどありえないだろう。
なるようにしかならない、というのが、現実的な線だろう。
「なりたい自分になれるはず」というフレーズや考え方がいつからどのように登場したのか。戦時中はありえないから、きっと戦後のある時期からだろう。勝手な推測では、広告のコピーから始まったのではないか。つまり売りたい商品を買わせるために、消費者に刷り込んだ考え方ではないか。このフレーズを信じれば、なりたい自分になるために、消費者はどんどん(無駄な)支出をする。
がしかし、これはあくまで無責任な広告コピーであって、商品やサービスの購入をすることで(=努力とかそういうことをショートカットして)なりたい自分になれるというのは、とても虫がいい考え方。ただ、ほとんどの人は、「なりたい自分になれるはず」という泡沫(うたかた)の夢にいっとき酔うために、ちょっと財布のひもをゆるめてみる程度だろう。酒を飲んで酔っ払うのと同じだ。やがて現実に戻って、現実に向き合って生きていく。でも、その夢から醒めない人はどうなってしまうのか。

ぼく自身は、子どもの頃に「将来の夢」を持ったことがない。と思う。少なくとも記憶にない。こんな大人になれたらいいなというぼんやりしたイメージはあったけど。もちろん、夢を持ち、夢の実現に向かって努力するのはいいことだ。だけどそれが、外圧的に与えられた夢だったら。売り上げアップという「企業の夢」を実現するためにバラまかれたものだったら。

戦後日本は企業社会だった、ということができると思う。地縁が解体し、“社縁”がそれにとってかわるようになった。かつては社内恋愛で結婚→出産のサイクルが促進されたし、会社がアイデンティティでもあった。いまもある程度、企業社会的構造は続いていると思う。“市民社会”が実現するとしても、それはもっと先のことだ。日本社会を支配しているのは企業だ(ちなみに企業はなかなか叩きにくい。政治や行政といった公の組織には記者クラブもあるし名目もあるし叩きやすいけど)。日本経済には内需拡大だとか消費回復とか言われたりするけど、「なりたい自分になれるはず」という呪文をかけた副作用の責任は誰もとらない。

…ということを、最近起こったとある痛ましいニュースから考えた。

「なりたい自分になれるはず」というのは戦後突如発生した、たんなる広告コピーではないのではないかという気もする。明治維新後の日本そのものではないか。一等国を夢見て、一等国に成り上がって、そこから転落していく過程。当時政府指導者層や軍中枢、官僚の彼らも、「なりたい自分(=日本)になれるはず」と夢見たのではないか。知識人やジャーナリストも、技術者や科学者も、商人も、労働者や農民も、みんなが「なりたい自分になれるはずと思ったのではないか。国全体が同じ夢を見ていたかどうかはともかく。

2010年08月25日

報道の低質化

今夏多発する熱中症死、エアコン嫌いのせいだとは思わない。少なくとも主因だとは思わない。暑さの質が変わったとも思わない。純気象問題ではなく、暑い町・暑い家を作り出した経済・効率優先の日本の問題で、天災ではなく人災だとぼくは思う。と思うのは、いま住んでる家が森に面する風通しのいい設計で、ある程度エアコンなしでも快適だから。前住んでた家はひどかった。 町に緑や土や水を増やし、風通しのいい家を推奨すれば事態は改善するのでは。エコでもあるし。というか温暖化ならやらなきゃまずいし。メディアがなぜそういう視点を伝えないのか。
と、ぼくはツイッターで書いた。 ([ link1 ][ link2 ][ link3 ][ link4 ])

お盆の渋滞予測報道についてはこう書いた。

首都高も東名下りもガラガラ。帰省ラッシュビークという“見込み”報道は実態と違う。最近よくあるパターン。[ link ]
今日の東名上り渋滞、事前予測と実態推移を比較。場所によっては渋滞ピークが予測よりも早く、全体的に抑制的(予測より渋滞激しくない)。明日もこの傾向が続くと見て計画を立てる。[ link ]
今日朝早くに帰省先を出たがほとんど渋滞なく昼には埼玉着。午後も東名大した渋滞なかった模様。昨日今日、この盆時期の高速渋滞予測は結果的大外れ。渋滞伝えるニュースも誤報に近い。ひでえ仕事だな報道。[ link ]

地デジについても不満がある。多くのデメリットをなぜ伝えないのか。テレビはともかく、新聞や雑誌も。

報道はいまや、プレスリリースを右から左に流すだけの思考停止機能化してしまったんじゃないだろうな。

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