世代を越えたコミュニケーション不全
これからの時代を生き残るのにマストなのはコミュニケーション能力、というオハナシ。引きこもりへの処方箋も。
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これからの時代を生き残るのにマストなのはコミュニケーション能力、というオハナシ。引きこもりへの処方箋も。
「ブログという紋きりパターン」を信じ込んでいる人たち。
「ブログというのはこういうもの」云々。
まあ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
マスに対し一斉に送出するテレビなら、そういうメタ的な話というか、成立しうるだろうけど、いろんなとこに住むいろんな価値観を持ったいろんなひとがいろんな動機でやっているブログを、「こうだ!」とスパッと定義するのは難しい。
だいたいブログって文化だっけ。あ、文化か。文化ね。てっきり道具だとばっかり。。。
旧聞。
朝日新聞2005年12月23日、一面に、「人口減 産めぬ現実」と題したトップ記事があった。見出しには「お金かかりすぎる」「2人目はとても…」というフレーズも。君島浩記者は「とても安心して子供を産める環境にはない」とばっさり。
えーと、うちは子ども3人いるんで、いまどき子沢山だと思うんですが、この記事読んでると、まるでバカ扱いだ。うちの子が通ってる保育園には、これくらいの子沢山はあたりまえだぞ。みんなバカか?
逆に疑問。子どもを産み育てずして、老後は大丈夫なのか。誰が自分の面倒を見てくれるのか。先行き不安な社会保障に自分の老後を委ねるのは、あまりにギャンブラー。かりに社会保障があてになったとして、それを支えるのは「よその子」であり、「産めぬ現実」も、「とても安心して子供を産める環境にはない」のも無視して子どもを産み育てているウチのような大ばか者の、いまを耐え忍ぶ日々が、「お金かかりすぎる」せいにする人たちの老後を支えるという、納得しづらい時間差攻撃構造がそこにはある。
「今しかないの」と口癖のように繰り返しながら「今」をひたすら消費する女子高生がそのままスライドしてるだけじゃないのかなあ。
同日、「悲観ばかりではない」と題した社説も掲載されている。「人やモノはますます国境を越えて移動する。一国だけの尺度で人口を考えてもどこまで意味があるのか疑問にも思えてくる」…ま、これはわかる。
インターネットなどのIT技術を含めた現代の科学技術と同様に、マスメディアも現代人にとっての強力なプラグインだろう。
『ブログキャスター』という雑誌を本屋で見つけたときは、「おっ」と思った。
手にとって、ぱらぱらと読んでみた。
…つまらない。
素直にそう思ったけど、ネタに購入。家に帰って、もういっかい読んでみることにする。印象が変わるかもしれないし。