セコいぞ知財戦略
「一太郎」販売禁止判決についてのソボクな感想。
セコいぞ松下、セコいぞ知財戦略。
いま「コンテンツ」といえば「コンテンツビジネス」「コンテンツプロデューサー」だし、なんだか金の匂いばかりがプンプンで、チョーうざー、って感じ。
思えばバブルの頃にはいっぱいいたなー。六本木の路上とか、渋谷のサテンとか、あっちこっちに。
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「一太郎」販売禁止判決についてのソボクな感想。
セコいぞ松下、セコいぞ知財戦略。
いま「コンテンツ」といえば「コンテンツビジネス」「コンテンツプロデューサー」だし、なんだか金の匂いばかりがプンプンで、チョーうざー、って感じ。
思えばバブルの頃にはいっぱいいたなー。六本木の路上とか、渋谷のサテンとか、あっちこっちに。
博報堂生活総合研究所が1月14日にリリースした10代の女の子の意識調査をニュースで知って思ったこと。
そういや、mixiって、グループっぽいな。
このような世間の耳目をひく事件に対しては、なるべくコメントしないようにしているんですが、昨日の、愛知県安城市のイトーヨーカドーで、生後1歳未満の男の子が刺殺された事件について。
from東京新聞
愛知・刃物男 『殺すつもり』と供述
無言のまま正面から、母親の押すベビーカートに乗せられていた翔馬ちゃんの頭を刺した。
fromスポーツニッポン
スーパーに刃物男 11カ月男児刺殺
約15メートル離れた子供服売り場付近でベビーカーに乗っていた翔馬ちゃんを刺した。(中略)当時、美佐さんは子供服売り場にいて、ベビーカーの近くにはいなかった。
好きな子がそこに行くから。
これならわかる。たとえ超難関だろうがおまえには無理だと言われようが、日夜猛勉強してベストを尽くしてほしい。
わからないのは、偏差値や進学率や就職率の高いところに生きたがること。そういうとこに限って倍率は高いことから、そういうひとがたくさんいることがわかる。
なぜ自分にフィットしたところに入ろうとしないのだろうか。
[潰されない記者ブログ]
というのを読んだ。ぼくはフリーランスだし、やってることもわりとしがないリサーチャー稼業っていうか、たぶん業界外の方にはリサーチャーってよくわかんないだろうし、業界内の方にはリサーチャーのわりには態度でかいなとかその程度の認識のジャンルの仕事なのでそれはいいとしても、テレビ業界において番組制作に関わっており、マスコミ人でありテレビ屋であるのは間違いないと思うけど、そのわりには、なぜぼくが「祭り」にあわないのか。考えてみた。
既存メディアの、一般市民(一般ピープル略してパンピーともいう)の描き方には、2つのパターンがあるように思う。
[ライブドア、ニッポン放送株35%取得]について、[ネットは新聞を殺すのかblog]の[ホリエモンが思い浮かべるメディアの未来]の分析が興味深い。同じく[ネットは新聞を殺すのかblog]では、[ライブドア市民記者ニュースがスタート]という記事もある。コメントはしたのだけれども、ここで書いておきたい。
2月9日のサッカーW杯アジア最終予選の対北朝鮮戦、あいにく仕事のためリアルタイムでは見られなかった。あとでビデオでじっくり見たけど、とくに後半は見応えがあって、いい試合だった。
北朝鮮を見直した。いいサッカーをしてた。とくに後半、同点に追いつくまでの時間帯。正面から、正々堂々とがっぷり組む感じがよかった。
文は人なり。だからブログは人なり。ときどき、この人はブログやらないほうが良かったんじゃないかなあーと思うブログに出会うことがある。ブログを通じて、その人の人間性が浮き彫りになってしまって、それが悲しい姿だったりすると、そう思う。
会ってみるといい人っぽいんだけど文章が…というのはおそらく、会った印象のほうが化けの皮で、文章のが本性でしょうね多分。
世界はほんとうはもっと色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味なんですよ?
こちらが出もと。ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうがで読んで、妙に残るというか、いいフレーズだなと思った。だけど、このフレーズ以外の部分には、あんまし共感できなかった。
ボクは議論が嫌いだし、あまり価値も感じない。
一次情報の応酬だったら、意味あるかもしれないけど。
生理感覚としての「こう思う、こう感じる」、たとえば女の子のシンプルなスキ・キライ的な、脳まで届いてない末端神経反射みたいなのは、いいと思うけど。
脳内生産脳内消費みたいな議論は、はっきり嫌い。その先に、何か価値のあるものが待ってる気がしない。
例外的に、はっとするような論理展開とか、あたりまえのことなんだけど虚をつかれて納得とかもたまにあるけど。あくまでたまに。
こういうブログやっといて何だけど。
ネット右翼について。こちらを読んで考えた。