新潟県中越地震報道をめぐる議論
新潟県中越地震報道についてはテレビを見ていて気になる部分があったので、10月26日に被災地のテレビカメラというエントリーに書いたのだけど、気がついたらブログ界でえらい騒ぎに。
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新潟県中越地震報道についてはテレビを見ていて気になる部分があったので、10月26日に被災地のテレビカメラというエントリーに書いたのだけど、気がついたらブログ界でえらい騒ぎに。
ぼくは大学1年から3年の途中まで、絵に描いたような「ネットワーク人間」だった。
高校時代まで、どちらかというと嫌われ者だったし、少なくとも、多数派ではなかった。地元を飛び出して入った大学も、学生数がえらく少なく、狭いコミュニティにたちまち弾かれた(←ぼくだけじゃないけど)。自然と、学外に行動範囲を広げていった。というか、がむしゃらに広げていくしかなかった。
現実社会から弾かれた人間が、バーチャルなネットワークにすがる気持ちはよくわかる。他にないのだから。インターネットはセーフティネットとしても機能しているし、それはとても良いことだと思う。
編集権を読者コミュニティーに分散させることが可能な時代になろうとしているわけだ。これがわたしが理想とする「参加型ジャーナリズム」である。
批判に対する反論
↑この部分に激しく同意。
いえ、ここのサイトじゃなくって。
PLAN The Room Virtual Officeというサイトがあって、羽田隆志さんという、オリジナリティあふれた乗物を次々と開発している工業デザイナーの方がやっているのだけど、そこで、プロジェクトごとにスポンサーを募集している。
(2001年09月02日以前に書かれた草稿をもとにしています)
大量生産・大量消費の企業社会ではなく、インターネットを基盤にした次世代の社会は、コミュニティがキーワードとなる。コミュニティとは、山村のようなものだ。そこに一軒のよろず屋がある。生活に必要なものを、村人はそこで買っている。村の人口は少なく、よろず屋の経営は楽ではない。老夫婦がそこそこ生活できる程度の収入しかないが、よろず屋を切り盛りするその老夫婦にとっては、自分たちが大儲けすることなどまったく念頭にない。ただ、村人の役に立っていること、店をおとずれるなじみの面々の笑顔が見られれば、それでいいのだ。
村人たちも、そんな老夫婦の気持ちをよくわかっているから、自然と足が向く。車で1時間ほど飛ばせば、もっと安いスーパーはあるのだけど、たいていはよろず屋で買い物をする。自分らにとってそのよろず屋がどんなに大切か、わかっているからだ。もし、よろず屋が深刻な経営難に陥ったら、それを知った村人は、自発的な募金に回るだろう。老主人が倒れたら、交代で店番に立つだろう。そうしてその店を、みんなで守ろうとするだろう。それはよろず屋の老夫婦のためだけではない、村のみんなのためだから。
(2001年05月21日以前に書かれた草稿をもとにしています)
インターネットは大儲けするメディアではない。広告代理店とクライアントがデカい面をする時代は、テレビと同時に終わる。
テレビは1対マスの関係を最大限に発揮したメディアだった。時代もそれを望んでいた。大量生産の商品を販売するのに、テレビはうってつけの媒体だったからだ。
その意味で、すでにテレビの時代は終わっている。取り残された演者と取り残された観客が、風呂上がりにオンザステージを楽しんでいる。
インターネットは、1対マスには向かない。最初からそれは明らかだ。適しているのは、全世界の「ちょっとづつ」。
復興支援で24時間生放送 地震、台風被害でNHK
NHKは2日、新潟県中越地震や台風の被災地復興を支援するキャンペーン番組「被災者の声・いま私たちにできること(仮)」を6、7の両日、24時間半にわたって総合テレビとラジオ第一で生放送すると発表した。
NHKによると、24時間を超える生放送は極めて異例。番組は6日午後7時半から7日午後8時まで、新潟県や兵庫県などから中継。被災者の声を伝え、阪神大震災や東京・三宅島の被災者から復興に役立つ体験などを聞く。ドラマなどレギュラー番組の多くは休止する。
両日は全国の放送局で義援金やボランティアへの協力を呼び掛ける。NHK広報局は「災害に見舞われた列島各地の声に、総力を挙げて耳を傾け、視聴者と考えたい」としている。
(共同通信) - 11月2日22時7分更新
災害多発のいま、不祥事で揺れるNHKが信頼回復のために総力を挙げる特別プログラム(と推定)。というのも興味深かったが、ぼくの関心は別のところに。
リサーチはぼくの仕事。手間のかかるオーダーが多い。そんな手ごたえのある仕事がおもしろくて続けてきた。手間をかけないといい番組は作れないと思っている。でも最近の番組づくりは、いかに手間をかけずにレートをとるかを競っているような感じだ。
作品は特定の誰かが作ったもの。近代以降の文化は、作品によって支えられてきた。著作権制度も、作品なしにはありえない。
いっぽう、ネットは空間。個々の作品が孤島のようにぷかぷか浮かんでるだけでは、つまらない。互いに磁場を形成してくっついたり離れたり、融合して巨大化したり、一団を形成したり、つまり、個々の作品が宇宙空間を構成する惑星のようにならないと。
今年5月、足で使っているトヨタ・カルディナのドライブシャフトブーツの破損を発見。あいにく愛車スタリオンのレストアで手一杯ゆえ、近所のトヨペットに修理に出した。簡単に交換できる分割式ブーツがあるというので、それを使用。部品代¥6500×2+工賃¥6,000。
約半年後。先日、タイヤ交換をしてたら、分割式ブーツの接合面が一部、外れているのを発見。再度トヨペットに行き、つけ直してもらった、はずだったが、きのうチェックしてみると、また外れていた。というか、見た目には何も変わりなし。またまたトヨペットに行き、クレーム扱いでブーツを新品交換に。
このデジカメ、充電したての電池を使って、ばしばし撮ってみると、とてもたくさん撮れるのだ。バッテリーはリフレッシュ充電済のSONYニッケル水素電池min.2150mAhを使い、ストロボOFFで、512MBのSDカードで丸々3回分。撮る→いっぱいになる→全消去と繰り返して、3回目の全消去中にオダブツ。…ここまでもてばオンの字だ。がしかし、普通に使っていると、撮り始めてすぐに電池残量表示が「十分あり」の緑点灯から「少し減った」の緑点灯、「残量が少ない」の黄点灯、そしてさらに「残量ほとんどなし」の赤点灯に。ほとんどジェットコースターなみの進行。で、いったん電源OFFしてやると回復したり。赤点灯から次の「電池容量なし」の電源強制OFF状態にはなかなか進まなかったり。
よくわからないので、ペンタックスお客様相談センターに電話で聞いてみた。
ぼくはクルマ好きだが、オタクではない。
なんでかなーと考えてたら、思い当たるフシが。
過去にこだわらないのだ。興味がもてない。どんどん忘れてしまう。小学校の同窓会に出ても、みんなの思い出話にさっぱりついていけない。オタクの話についていけない感覚に似ている。
いろんなヒトから相談を受けるが、相談のベクトルはいっしょ。
ホームページを作りたい。アクセスを増やしたい。売り上げ増につなげたい。
コンテンツ発信支援というのに取り組みたいと思っていたのだが、なんかそれでやる気が萎えてしまっている。とどのところつまり、ホームページをチラシだと思っているのだ、みんな。
チラシを作る。たくさんばら撒けば、多くの人に見てもらえて、客の数も増える。…とまあ、そんな具合に。
それは幻想です。だってホームページはチラシじゃないんだもん。
セグウェイによる全米横断に成功--ドキュメンタリー映画の撮影で
「America at 10mph(アメリカをゆっくり見渡そう)」と命名されたこの横断旅行は、8月9日にワシントン州シアトルを出発し、5人編成のチームで14州を超えてきた。この撮影旅行は、「米国の本来の姿」をフィルムに収めることを目的に実行された。
ぼくは、よく寝る。8時間ぐらい寝ないと眠い。働き盛りにあるまじき睡眠時間。
もちろん、仕方なく睡眠時間を削って仕事することもあるんだけど、そういう時の自分がどうも嫌いだ。
インターネットはオープンなとこがいいのだが、オープンなサイト運営には限界がある。というか、不特定多数に向けてオープンにしてしまうと、どうもメリットよりもデメリットのほうが目につく。いまのところ、そう結論づけざるをえない。
また乖離ネタ。
リサーチャーなので、webで情報収集をする。オフィシャルなサイトも見るが、プライベートな個人サイトを見ている時間のが長い。情報の正確性には劣るが、コンテンツの質、量ともに、オフィシャルなサイトを凌駕している。掘り出しモノもある。いまや、優れたコンテンツは、無数の個人の手によって、無料で提供されている。ただ、それらのサイトの多くは、デザイン的にはお世辞にも良いとは言えない。中には、行き当たりばったりの建て増し建築的な、複雑怪奇な作りのサイトもあって、四苦八苦する。(あとMIDIも困る)
「面白いっ!」
が口癖だったひとがいる。
テレビ屋の先輩、恩師というべきか。
「で、どう作る?」と続く。
テレビ屋は、「面白いっ!」を追い求める稼業。
だから、「面白いっ!」を追い求めた結果、テレビからウェブに足場を移したってOK。
外出時に持ち歩くIBM ThinkPad s30のバッテリー、9セルのFull Dayタイプのをこないだ購入。 素直に「大容量タイプ」と言いたいのだが標準のが「大容量」と名乗っているので。
IBM パソコン 周辺 機器 バッテリー/ACアダプター
で、せっかく高い金を出して買ったので、バッテリーを長持ちさせる方法について調べてみた。IBMのこのページを基本にしつつ。
ノートパソコンのバッテリーを長持ちさせる方法
テレビとかラジオとか新聞とか雑誌とか、つまり既存メディアコンテンツというのは、広告収入によって成立している。ということは、広告を見た一部のヒトが商品を購入することを前提に、多くのヒトにコンテンツを無料あるいは安価に提供するということ。つまり、多くのヒトは「タダ乗り」をしているわけ。マスメディアの「マス」とは、送り手がマスなのではなく、受け手がマス。ぼくらは、タダ乗りでコンテンツを享受できる、大衆として存在することに慣れている。
一部エントリーのカテゴリーを変更しました。
トラックバックとかどうなるのかなあ。
ま、いいけど。
既存メディアの制作にたずさわるヒトは、ネットコンテンツを一段低いものと見なす傾向があるように思う。プロとアマの関係のように。もちろん、作品として見た場合、ネットコンテンツのクオリティが低いのは間違いない。
が、テレビも黎明期には似たような扱いを、新聞やラジオといった既存メディアから受けたはず。でもテレビはその後、メディアとしての能力を開花させ、いまやメディアの頂点的な存在となっている。テレビの能力とは、「いま」をたくさんの人に見せることだろう。その強みは、これからも失われることはないと思う。
では、ネットの能力とは何か。